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ミチノ・ル・トゥールビヨンシェフ道野 正のオフィシャルサイト


by chefmessage
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野本真也先生のこと。

     野本真也先生のこと。
 同志社大学にぼくが入学した頃には、いわゆる学生運動はすでに下火になっていたのですが、その影響はまだ随所に残っていました。同志社の学生運動の急先鋒は神学部だったのですが、それまで入学するのに必須であった所属教会の牧師の推薦書は必要ではなくなり、一般学生にも門戸が開かれるようになったのは、やはりそれだけ学生運動の圧力が強かったからなのでしょう。
 開放された神学部の一期生としてぼくは入学しました。それまで一学年10名前後だった学生の定員数は30人にまで増やされたので、ぼくのような不勉強な受験生でも入学できたのかもしれません。
  
 ぼくたちの学年には担任教授が二人おられました。野本真也先生と深田未来生先生。そのうちのお一人、野本先生の初授業を今でもぼくは覚えています。「哲学はどう生きるかを教えてくれる。神学は、人がどこから来てどこへ行くのかを教えてくれる」。

 高校時代、ぼくはいつも哲学書を持ち歩いている変わった学生でした。「存在と時間」なんて理解できるはずがないのに、ハイデッガーがお気に入りだった。神学は哲学の一分野だろうと考えていたぼくにとって、野本先生のその言葉は衝撃でした。そして、その過程に必要なものとして「生活の視座」という定義を教えてくださった。
 それは神の位置からの視点を持つこと。
 高飛車、あるいは上から目線のことではありません。全てを客体化して捉えるということです。例えば対立する二つの理論に対して、感情を挟まずそれぞれの長所と欠点を見出し、分析し整合させること。狭義ではなく広義に物事を捉えること。
 神学部を宗教性の強い、信仰によって成り立つ学部と思っておられる方が多いと思いますが、実はとても客観的で冷静な判断力が求められる場所で、ぼくにはその事実が新鮮で嬉しかった。そして4年間を過ごすことになったのです。

 ではなぜ、その神学部を卒業してぼくは料理人になったのか。

 定点観測が必要だと思ったからです。
 人は生まれた以上は生きてゆかねばなりません、そして常に自分の立ち位置を確かめなければなりません。そうしないと方向がわからないからです。ぼくは「生活の視座」という縦の線を得たけれども、神ではない人間だから横の視線が必要です。縦と横の線が交わらなければ立ち位置がわからない。それがわからなければ、何が正しいのかわからなくなって迷ってしまいます。
 料理人という職業を選んだのは偶然だったのかもしれません。本当はなんでも良かったのかもしれない。ただ、その時のぼくは何か確かなもの、言葉ではない揺るがないものを作り出したかったのです。
 でも周囲の人たちから猛反撃を食らいました。ある教授から「君はその程度の人間なんだよ」と言われた時は、どう反論したらいいのかわからなかった。
 その中で、ただ一人だけ支持してくださった方がいました。それが野本先生だった。「僕の教え子の中に、そんな変わり種がいる方が面白い。しっかりやりなさい」。それから30年近い月日が流れました。

 ある日、こんなメールが届きました。
「君ならやり遂げると思っていました。必ず食事に伺います」。野本先生からでした。涙が止まらなかった。

 その頃ぼくの店は豊中市にあったのですが、野本先生は何度か来てくださいました。学校法人同志社の理事長を務めておられたので、豊中にある梅花学園を訪ねる機会が多かったからです。梅花学園が同志社の系列校になった頃でした。
 最初に来店された時、食後にご挨拶に伺うと、先生は立ってぼくの手をしっかり握り、「ぼくはお世辞は言わない。君の料理は本当に美味しい」と言ってくださった時のことをぼくは忘れることができません。
 それから毎年お正月になると、先生のご自宅にぼくはお節を届けるようになりました。先生が逝かれるまで続けるつもりでした。
 先生の訃報がいろんな人から届きました。その中に必ずこんな言葉がありました。「先生は君から毎年お節が届くことが本当に嬉しかったみたいだよ」。

 12年間続いた年末の恒例行事が一つ終わってしまいました。先生は今頃、先に行かれた奥様と再会なさっておられるのでしょうか。お節が届けられなくて、ぼくは残念でなりません。

 「人はどこから来てどこへ行くのか」。ぼくにはまだわかりません。でも、ぼくは先生に教えていただいた羅針盤の使い方を駆使して、もうしばらく航海を続けます。そして再会した時に、君ならやり遂げると思っていたと言われるようになろうと思います。

by chefmessage | 2021-10-15 21:34