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ミチノ・ル・トゥールビヨンシェフ道野 正のオフィシャルサイト


by chefmessage
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新人の夢

  新人の夢 その1

 4月から新人が厨房に来ました。石川県の、調理科のある高校の卒業生です。同じ時期にマダムがスーパーカブにキャンプ道具を満載して日本一周に出かけるので、その穴埋めが必要だと考えて採用することにしました。

 初めての大阪で心細いかと思ったのですが、高校の時も実家を離れて寮で暮らしていたからかそれほど寂しくもない様子で、今のところは遅刻もなく毎日真面目に働いています。


 高校で調理科を専攻していたと言っても、調理師学校ではないので、できることは多くありません。聞いてみると、履修は和食が主だったようで、洋食、ましてやフランス料理に関しては、ほぼ何も知らない様子です。それなのになぜうちの店に応募してきたのかわからなかったので尋ねてみると、ぼくの「料理人という生き方」を読んで、どうしても働きたかったのだと言います。とにかく、彼の料理人修業が始まりました。


 うちの店では、「これはまだ早い」という言葉はありません。できないのはさせないからだとぼくは考えているので、とにかくなんでもやってもらいます。もちろん洗い物や掃除は当然の役割ですが、野菜の下拵えから魚の三枚おろし、料理の盛り付け、パンを焼く。そして賄い作りまでやらないといけないから大変です。でも本当はどれもできるはずがないのです。だから失敗の連続で、経済的損失は甚大です。せっかく仕入れた魚が見るも無惨な姿になると、授業料もらいたいと真剣に思います。美味しくない賄いを毎日食べるのも苦痛以外の何者でもありません。でも、そのうち上手になるのです。それを信じるしかないのです。


 と、ここまで書くと、なんと教育熱心なシェフなんだろうと思われるかも知れません。でも、それはちょっと違います。ぼくは早く役に立つ人材になって欲しいだけです。そうすれば、ぼくや他のスタッフがもっと前に進めるからです。余裕ができれば新しいことを考え、それを試すことができます。料理人だけではないと思うのですが、技術系の仕事に必須なのは常に考えることと試すことです。それをやめることは歩みを止めることです。歩みを止めれば、ぼくたちに明日はありません。

 例えばお客さまに、「この店はいつ来ても美味しい」と言ってもらったとします。それはいつも同じということではありません。少しづつでも腕を上げているから、そう思っていただけるのです。

 記憶は蓄積ではなく、常に再構築されるのだそうです。それなら、毎回強度を上げないと弱体化して忘れ去られます。人の脳は常に新陳代謝しているのだから。繰り返し再構築されるだけのインパクトを保持することが大切で、そのためには常に更新するしかありません。だから、新人の育成はぼくたちの未来になる。そのためには、たとえ活きの良い魚がボロボロになっても。でも、やっぱり辛いことに変わりはありませんが。


 ただ、今の調理場にはぼくたちの修業時代には考えられなかったような便利ツールがあります。スマホ、です。厨房でスマホは禁止、という店もありますが、うちではそのようなことはありません。わからないことがあれば、すぐにそれで調べてもらいます。これは時間短縮にとても有効です。ただし、情報過多にもなります。それからがぼくの出番です。どれが正しいのか、なぜ違う情報があるのか、それを解き明かすことができるからです。そうすることで、より深い知識を得ることができます。ぼくはそれが修業の本質だと思っています。

 修業とは、ある意味、ぼくに近づくことです。極論するなら、ぼくになろうとすることです。仕事の上で、ぼくと同じ価値観を持つこと。でも、次の職場に行ったら、その店のシェフはぼくとはまるで違うことを言うかも知れません。それでも、そこではそれに従わなければなりません。つまり、二つの違う価値観に触れることが大事なのです。やがて、自分が全てに責任を負わなければならない時が来たら、そのときに考えるのです。なぜ二つの価値観が存在するのか。その違いは何か、そしてどうすればその違いを乗り越えることができるのか。解を導く必要があります。そして、見つけ出したら、その答えこそがその人の価値観であり、存在意義になるのです。

 同じことは、スマホを見ながら賄いを作っているときにも行われます。例えばクックパッドで「肉じゃが」を作ろうとするとき、レシピは山のように羅列されます。どれが正しいのかわからない。それなら、一番自分が作りやすそうなものを選んで、その通りにやればいいのです。その結果、何かが違っていると思ったら、今度は別のレシピを試してみる。そういうことを繰り返しているうちに、違いが見えてくる。その違いについて考えるようになる。やがて、自分のレシピが見えてくる。

 すなわち、大切なことはぶつかることなのです。ぶつかって、それを修復することで上達する。ただし、そのためには判断が必要になります。方向と言ってもいいかも知れません。どの方向に進めば良いのか。迷い子にならないためには、道案内がいるのです。うちの店の場合、それがシェフであるぼくです。


 料理人であれなんであれ、人より卓抜した技術を身につけるには、人並み以上の努力が必要です。並大抵で成し遂げられることではありません。でも、自分がその道を選んだのなら、まっすぐ進んでいってほしいと思います。

 ぼくは教育者ではないし、人を導けるような人間ではありません。ぼくはただ、自分の生きる姿を見せつけるだけです。でもそれで何かを伝えることができるなら、ぼくには悔いはありません。


 新人の夢が叶いますように。


by chefmessage | 2022-05-22 16:04