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ミチノ・ル・トゥールビヨンシェフ道野 正のオフィシャルサイト


by chefmessage
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気ままなる旅

気ままなる旅
  「汽車が山道をゆくとき
   みづいろの窓によりかかりて
   われひとりうれしきことをおもはむ」萩原朔太郎

 若い時の自分を振り返ると、まるで新幹線みたいだったなと思います。とにかく早く、どこまでも遠くへ行きたかった。毎日、ぼくはそんなことばっかり考えて動いていたように思います。とにかく前しか見ていなかったから、周りの景色なんてまるで目に入らなかった。だからぼくは傲慢で、人の気持ちに斟酌しない独りよがりな人間だったと今では思います。
 では、今はどうか。
 加齢による体力と気力の衰えは隠しようがありません。身を削るような激務には到底耐えることができない。では、ぼくは多くを失ってしまったのかというと、そうでもないかなと思います。今のぼくは、例えるなら「鈍行」に乗ってる気分です。速度は早くないし、頻繁に停ります。けれども、窓外の景色をしみじみと眺めることができます。それは不思議な光景です。見慣れていたはずなのに新鮮で、今更ながらの発見もある。そういうことだったのかと、やっと気づくこともたくさんあったりして。

 これまで全く目に入らなかったことがよく見えるので、それを大切にしたいと思うようになって、だからこの頃のぼくが作る料理は、奇抜さや斬新さがなりをひそめて、ずいぶん簡単というか、おとなしくなったような気がします。時には、もっと複雑にしなければと思うこともあるのですが、その必要性を感じなくなったので、インスタ映えするような仕事はしていないし、できません。ただ、今までの仕事に比べると、間違いなく美味しくなっているとは思います。なぜなら、ぼくはぼくの仕事の出発点を忘れていないからです。
 とはいえ元来ぼくの仕事は、それがどれほど奇抜であったとしても、必ず出どころがありました。出典が明らかであるというか、自分がどの料理をアレンジしようとしているかがわかっていたように思います。それはたいていが古典であったり、あるいはビストロ料理であったりと、それまで連綿と受け継がれてきた料理でした。若かったぼくは、それをいかにして今のモードにするかに腐心してきました。ただ、どんなに変化球であったとしても、それは人の心のストライクゾーンに入るような美味しいものでなければならないとは考えていたように思います。

 翻って、現在主流になっている料理、いわゆるフュージョンは、これまでのフランス料理とは似て非なるものだと、ぼくには思えてなりません。食材を用いてアートとかデザインをやることが、彼らの提唱するSDG‘sに則したものだとはぼくには思えない。そもそも、受け継ぐべきものを評価しないその姿勢が、ぼく自身の若い頃を連想させます。すなわち、傲慢で独りよがりだと。そして、それで商業活動をしている人たち、あるいは団体に対しては、それは文化の断絶、あるいは破壊ではないのか、という気持ちがあります。

 過去があり今があるから未来はあるのです。自分の出発点を忘れないことで自分の立ち位置がわかる。それがわかるから行く先がわかるのではないでしょうか。今しかない仕事に未来はない、ぼくは自分の経験からもそう実感しています。

 とはいえ、今のぼくは「鈍行」に過ぎません。でも、確かなことが一つあります。それは、遅くても前へと進んでいるということです。ぼくは自分の出発点を忘れたことはありません。だからぼくの歩みは力尽きて途切れてしまったとしても前を向いたままです。気ままな旅はまだ続きます。

by chefmessage | 2022-07-26 19:33