今なら大丈夫
2022年 10月 01日
今なら大丈夫
「おいしさをデザインする」という本を読んでいます。調理科学者の川崎寛也先生が、今をときめく13人のシェフと対話しながら「新しい料理」とは何かを模索している著作なのですが、それを読み進めるうちにぼくはなぜか懐かしさを感じました。最前線にいるシェフたちの試行錯誤の過程が、かなりの年齢差とキャリアの隔たりが彼らとの間にあるにもかかわらず、ぼくには理解できるのです。そんなことを考えて料理を作っていたことがあった、それが思い過ごしではなく、実感として感じられました。
長い間料理に携わっていると、その時々にマイブームがあります。食材に関してであったり技法であったり。あるいは異文化に対する興味であったり逆に日本の文化に対する接近であったり。簡単な例を挙げると、これはぼくの癖でもあるのかもしれませんが、伝統的な料理がやりたくなって続けていると、だんだんそれに飽き足らなくなって、次のシーズンではやたらと前衛的な料理になる。でも、これではいかんと考えて、またクラシックに戻ったり。そのような動きを一年のうちに何度か繰り返すということがあります。
ぼくは同じ料理をやり続けることで完成度を高めるというタイプの料理人ではありません。いつも変化を求めてきた。伝統ならばより深く、前衛ならばより斬新に、それを半世紀近く反復してやってきたから、およそ一人の人間に考えられることは何パターンも試してきたと思います。もちろん、全てを網羅したなんて思っていません。けれども、少なくともフランス料理という土台を同じくするならば、途中まではさほどの差異があるとは思えない。いくつものマイブームは、他のシェフのブームであったとしても不思議ではないのです。
もちろん全く同じというわけではありません。時代と共に求められるものは変わるし、何より科学は進歩する。一番顕著なのは火入れの温度でしょう。低温調理というものは、長らくぼくたちの技法にはありませんでした。こうすればどうなるのか、と考えても、それを実行する手段が無かったのだから仕方がありません。その次に違うのは、いろんなことのデータ化です。数値化と言っても良いのかもしれません。
わかりやすい例が、コンソメスープのクラリフィエです。クラリフィエとは澄ませること。
1日目はブイヨンを取ります。次の日に、大きな鍋に細かく切った野菜、ローリエなどの香草、ミンチにした牛肉、それにほぐした卵白を入れてかき混ぜます。よくかき混ぜたら、そこに前日にとったブイヨンを注ぎ入れて火にかけ、鍋底に具が沈んで焦げ付かないようにひたすらかき混ぜます。さて、ここからが肝心です。
コンソメは、加熱によって凝固する卵白が周りの具材やアクを絡めとるようにして浮かび上がることで下が澄んだ状態になります。だから、沸騰する寸前に混ぜるのをやめないと固まった具材がまた散るので濁ってしまします。かき混ぜすぎてはいけないのです。でも、それを怖がって早々にかき混ぜるのをやめると、具材が沈澱して鍋底で焦げるので焦げ臭くなります。だからちょうど良いタイミングでかき混ぜるのをやめなければなりません。
それがわかるようになるまで、何度失敗して怒られたことでしょう。でも今は簡単にそのタイミングがわかります。卵白は60℃で凝固しはじめて80℃になると完全に固まることがわかっています。それなら、コンソメをかき混ぜながら温度計を突っ込んで、完全に固まる寸前、75℃くらいで止めればいいのです。温度計と簡単な知識があれば誰にでもコンソメのクラリフィエができるのです。これが数値化です。何度で何分、という数値が経験値を上回るのが現代的な調理といえるのかもしれません。
だから、調理技術はずいぶん変化したといえるかもしれないのですが、根本的に人の考えることに、道筋と言っても良いのかもしれませんが、さほど変わりはないように思います。歴史は繰り返される、ということなのでしょうか。これをこうすればどうなるか?今は科学と機械が進歩した分、試しやすくなったのではないか。だから、料理人の冒険はより深化しているように思えます。少し前には実現不可能だったことが今ではできるようになっている。例えば圧倒的に美しい料理もやろうと思えばできる。ただ、それが美味しいかどうかはもはや誰にも判別できないから、料理として成立するのかはわからないけれど。
話は変わりますが、かつてのぼくはメモ魔でした。とにかく料理のアイデアがポンポン出てくるので、そこら中にメモをする。新聞の端っこだったり伝票だったり壁のカレンダーだったり。でも、それが頻繁になくなるのです。あるいは、後から読むと何のことやらわからない。だからスマホを持つようになってからは、それをメモ帖代わりにするようになりました。今はもうかつてのようにポンポンとはいきません。ポツポツという感じですが、それでもその料理メモを見ると560ありました。でも、実際に店で提供できたのはその1割ほど。では、残りはなぜやらないのかというと、まず技術的に実現不可能、次に食材が調達できない、最後に「これをやっても理解してもらえないだろう」とぼくが思い込んでいること。
ぼくはがっちり基礎を叩き込まれた、という料理人ではありません。だから過激な方向に突っ走ることができたのですが、これは本当に美味しいだろうかという疑問がいつも自分の中にありました。今は流石にそのようなことはありませんが、逆に、料理はずいぶんおとなしくなったように思います。でもどこか物足りなさを感じているのも事実です。そんな時に読んだのが「おいしさをデザインする」だったから、心のどこかでカチンとスイッチの入る音がした。自分自身の調理技術も向上している。食材は集められるものでやればいい。昔と違って、お客さまの理解度も随分深まっている。だから、11月にフェアをやろうと考えました。誰のものでもない自分がデザインした料理を集めてコース料理にする。幸いなことにパワーアップしたマダムがデザートやる気満々だし。だからテーマは「今なら大丈夫」。まだオレにもできるはずだ。なにしろ日本の元祖フュージョンなんだから。
今回だけ、ダサいセリフで締めくくらせてください。
「若いもんには負けへんで」。