『勝てないけれど負けない』
振り返ると、子供の頃から人の言うことを聞かない人間だったなと思います。まず親の言いつけを守らない。だから四人兄弟の中で最も手のかかる子供でした。母からこんな話を聞いたことがあります。あまりにぼくが言うことを聞かないから罰として押し入れに閉じ込めた。他の兄弟ならすぐに「早く出して」と泣くのにぼくは何も言わない。あまりに静かだから怪訝に思って覗くと、ぼくは寝ていた。「ほんまにこの子だけは」。母はいつもそう言っていました。ぼくが大人になっても。
多分、母にとっては最後までぼくは理解できない子供だったのだと思います。それでも我が子だから見放すことはできない。彼女の心労を察すると、今でも申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになります。
そんな調子だったから、学校でも従順な生徒ではありませんでした。勉強はしない、授業はサボる、かといって何か事件を起こすような不良でもない。不可解な生徒だったと思います。だから、好かれることはなかったけれども、かといって嫌われもしない。ただ、今になって、もっといろんなことを外から学ぶべきだったと思っています。ぼくは何も知らない、そのことを痛感しているから。
だったらお前は何をしていたんだと言われそうですが、本だけは読んでいました。わかるわからないは別として、さまざまなジャンルの本を。そして答えを見つけようとしていました。ぼくはいつも問い続けていた。
「自分とは何か」「自分の居場所はどこにあるのか」。
自分のことなんだから、自分で見つけなければならないと思っていた。
他人と同じ方法では見つからないと思っていたのです。だから、いつも違った方向から見ようとしていました。みんなはこうするけれども、これではいけないのか?常識と非常識の違いとは何か?いつも対比して考えていました。その違いがわかれば、より良い方向が見えるような気がして。
変な例えなのですが、例えば蛇の前進について。蛇には足がないのになぜ前に進むことができるのか?それは伸び縮みにあるとぼくは考えました。それが正解であるかどうかはわからないけれども、真っ直ぐなままでも縮んだままでも動くことができないわけで、だから前進とは常に伸縮運動を繰り返すことだとぼくは思ったのです。かつて桂枝雀さんが、笑いとは緊張と緩和だと言っていたけれども、これがそうなんだと思います。そして、笑いがそうであるなら、幸福というものは善と悪の対比から生まれるのではないか、と考えた時、ニーチェの「善悪の彼岸」を読んで、ぼくは一人、わかったような気分になりました。やはり、ぼくは「この子だけはようわからん」息子なのかもしれません。
大学の神学部を卒業しながら料理人になったのも、学者と職人の違いから自分をみつけたかったからかもしれません。そして修業後に独立してやった仕事も同じでした。ぼくは自分にしかできない料理をやろうとしました。伝統的なもの、例えば家庭料理やビストロ料理の面影を残しながらも新しい感覚の一皿。精力的に動いたと思います。そしてそれは、世間に受け入れられた時期もあり、すっかり見捨てられた時期もあり。そんな「流行り廃り」の変遷も自分らしいのかなと今では思いますが、気がつくと、ぼくはもう45年も自分がフランス料理だと思っているものを作り続けています。ただそれは、いつも同じ基調ではありません。伝統的なものに忠実であろうとしたり、完全に乖離したようなものであったり、まるでメトロノームのように行ったり来たりを繰り返してきました。でもその振幅で、少なくともぼくは前に進んできたと思うのです。それは自分探しの、あるいは居場所を探しての旅であったのかもしれません。
いつものことですが、話は急に転換します。
今年のお正月はマダムの実家で過ごしました。ぼくは両親とも亡くなっているので、昨年から岐阜に帰ることになったのです。
全員で初詣に行き、その後家族で恒例のアウトレットでのお買い物。それから晩御飯も食べて、全員が居間でくつろいでいます。
マダムは本を読んでいる。娘はほかほかカーペットに寝そべってスマホを見ている。義父は隣の部屋でウトウトしている。息子と義母とぼくはぼんやりとテレビを眺めている。
テレビではアザラシの母が、成長した子を流氷に置き去りにして海に飛び込んでいる。でも、やっぱり気掛かりなのか、波間に顔を出して、鳴く子アザラシを見つめている、そのシーンでぼくは泣きそうになっている。
ものすごく平凡な光景なのです。
この数ヶ月は激務で、毎日起床するとその日の仕事の段取りを考えて、少し憂鬱になりながら出勤し、ヘトヘトになって帰ってくる日々でした。休む間もなく動き続けた。だから、何も考えずテレビを眺めている自分が不思議だった。そして、そのような光景にホッとしている自分が意外でした。平凡な光景に満足している自分。以前なら、そのような場にいることはむしろ耐えられなかったのに。
これってひょっとして幸せなのか?おれはやっと自分の居場所を見つけたのか?でもその疑問はすぐにかき消えました。これでいいんだと、ぼくは思った。そして、自分のやってきた仕事も間違ってはいなかったんだと悟りました。
元旦の朝日新聞に哲学者の山折哲雄さんがこんな文章を寄稿していました。
「『勝てないけれど負けない』生き方を示したのもまた葉隠だったと、私には思えるのです」。
葉隠のことはよく知らないけれど、この文章には共鳴しました。
自分の仕事も同じだなと思ったのです。
現在のフランス料理界は大きく分けると、「伝統派」と「フュージョン派」にわかれているようです。でも、ぼくの仕事はどちらでもありません。中途半端だから、世間の耳目を集めることもありません。それは傍流の小さな小さな点にすぎない。でもぼくは、ぼくにしかできない仕事をやり続けます。やっと自分を発見したみたいです。そして自分の居場所も。
『勝てないけれど負けない』、また一年が始まります。