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ミチノ・ル・トゥールビヨンシェフ道野 正のオフィシャルサイト


by chefmessage
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我が良き友よ

   我が良き友よ

 先日、ゴ・エ・ミヨのパーティーに出席した時に、久しぶりに手島純也シェフにお会いしました。東京の「シェ・イノ」のシェフに就任して以来とても忙しそうで、当日もたくさんの人たちに取り囲まれていて短時間しか話すことができなかったのですが、帰阪してから、そういえば頼みたいことがあったんだと思い出して、彼にメールをしました。彼に直接ではなくて、「シェ・イノ」のグランシェフである古賀さんにお尋ねしたいことがあったのです。パーティー当日も手島シェフの隣におられたのですが、面識のない方にご挨拶するのがどうも苦手で結局お話しすることができなくて、後日、手島シェフにお願いして聞いてもらうことになりました。

 それは古い友人のこと。
 
 31歳でフランスに渡って、初めて働いたのはソーリューにある「ラ・コート・ドール」でした。当時、「水の料理人」として世界中から注目されていたベルナール・ロワゾー氏のホテル・レストラン。右も左も分からない、言葉も満足でないぼくは、正直に言います、もう怖気付いてしまって手も足も出ない状態でした。厨房は毎日まるで戦場です。弾かれ罵られ、本当に辛かった。どうしてこんなところに来てしまったんだろう、来なければよかったと思う日々。情けなくて、一刻も早く日本に帰りたかった。そんなぼくにさらに鞭打つような言葉を投げつけてくる日本人の先輩がいました。Nさんです。この人はぼくよりいくつか年下でしたが、同じ人間だとは思えないほど仕事ができました。何をさせても素早くて正確で、その時すでに滞仏歴5年だったからフランス人コックたちとも互角以上に渡り合う猛者でした。その仕事ぶりからムッシュロワゾーにとても気に入られていて、それはフランス人コックたちに妬まれるほどでした。
 今でも鮮明に覚えている出来事があります。当時の「ラ・コート・ドール」の厨房は、歴史的な名シェフ、アレクサンドル・デュメーヌがオーナーだった頃とほとんど変わっていない古びた施設で、動線がとても悪かった。それにもかかわらずムッシュロワゾーが新しく考案した料理をやれと言うのですが、瞬間移動できない限りは到底無理なものでした。でもムッシュに逆らうことはできません。フランスは実は厳然たる階級社会なのです。フランス人たちは黙って俯いています。その時、キャセロールを床に放り出してNさんが「そんなことできるか」と日本語で怒鳴った。そこにいる全員が青ざめてムッシュの顔を見た。ムッシュは例のどんぐりまなこを見開いています。そして「なぜだ」とNさんに聞きました。Nさんが説明をし終わった時ムッシュが「お前の言うとおりだ」と答えてニコッと笑いました。実にいい笑顔だった。その時、この人は本当にすごい人だと思いました。いくらもてはやされても物事の道理を弁え、冷静に判断を下すことができる。結局その料理は再考され、古びた厨房でも対応できるものになりました。

 まごまごしているぼくはNさんによく怒鳴られました。「何やってんですか!」「ダメじゃないですか」。それでも仕事が終わって相部屋に戻ると彼はいつも「今帰っちゃいけませんよ」とぼくに言いました。今帰るともう料理できなくなりますよ。一生負け犬気分を引きずりますよ。今までやってきたことが全部無駄になりますよ。

 数ヶ月後、ぼくはトゥルニュスという田舎町の「ル・ランパール」というホテルに移りました。ミシュラン一つ星でしたが、そこで1年近く頑張ってソーシエ(ソース係)になりました。その後二つ星の「ジャン・バルデ」で働いた後日本に戻り、その3年後に独立したのですが、それができたのは、あの時のNさんの叱咤激励があったからだと思います。
 Nさんはムッシュロワゾーの推薦でパリの「ギィ・サヴォワ」に移り、その後帰国して郷里の鹿児島で自分の店を持ったと聞きました。その名は「ロワゾー」、ムッシュに心酔していたNさんらしい命名でした。「いつかスタッフ連れて道野さんのお店に行きますから」、その電話での会話が最後で、それ以降は彼と連絡がつかなくなりました。お店を畳んだらしいということは耳にしていたのですが、誰に聞いてもその消息がわからない。ずいぶん経って、やっぱり気になって、その頃付き合いのあった鹿児島のイタリアンのシェフに依頼して方々当たってもらったのですが手がかりすらない。最後に彼と電話で話して以来30年以上の月日が流れました。

 古賀さんに尋ねてみようと思ったのは、Nさんが「シェ・イノ」か、その系列店である「ドゥ・ロアンヌ」の出身で、かつて同僚だった古賀さんの話を聞いたことがあると思い出したからです。
 手島シェフからの返信は「古賀シェフはもうお付き合いがないので、Nさんと一番親しかった方に尋ねてみるとおっしゃってます」。翌日、またメールがありました。
 「残念なお知らせです。Nさんは3年ほど前に亡くなられているそうです。詳しいことは分かりませんが、鹿児島のお店を閉められて以来、料理界からは身を引いて、関係者とも付き合いを断っておられたようです」。

 この30年以上の月日に彼に何があったのか、どこでどうしていたのか、今はもう知る術はありません。師匠のムッシュロワゾーは2003年、ミシュラン三つ星の座から凋落するのではないかと疑心暗鬼にかられ自死しました。あるいはそのことも影響しているのか、とも思いましたが分かりません。
 何より、あれほどフランス料理を愛して、誰よりも優れた技術と知識を持ちながらなぜそこから身を引いたのか聞いてみたい。それは同時に、ではなぜ自分はなお生きながらえて料理を作り続けているのか、という問いとなって跳ね返ってきます。
 彼はあの時、ぼくに戻ってはいけないと言いました。だからぼくはずっと走り続けてきました。戻ったら、今まで積み上げてきたもの全てが無駄になると信じて、ぼくはひたすら進み続けたのです。そして不意に消えてしまった背中に呆然としながらも、まだぼくは行こうとしている。

 この先に何があるのかぼくには分かりません。けれども、ぼくの心にはいつも彼の、ガッカリしながらもぼくを見捨てなかったあの笑顔があります。

 たとえあなたが身を隠したつもりでも、そうはいかないからね。これからは一緒に走ろうぜ、我が良き友よ。

by chefmessage | 2024-04-06 17:03