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ミチノ・ル・トゥールビヨンシェフ道野 正のオフィシャルサイト


by chefmessage
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さぬきはめざめているか?

       さぬきはめざめているか?
 何年か前から、さぬきのめざめヴィオレッタというアスパラを使わせていただいています。さぬきのめざめは香川県の特産品で、通常のものの倍くらい背が高いグリーンアスパラなのですが、ヴィオレッタはその紫ヴァージョンです。さらにそれを遮光して育成したピンク色のものもあります。
 ただ、届いた当初はちょっと戸惑いました。紫やピンクのアスパラは以前に一度ブームになったのですが、色素の元であるアントシアニンは加熱すると濃い緑色になってあまり綺麗じゃなくなるので、結局あまり使われなくなって作る人も少なくなり、市場にも出回らなくなったのです。
 なんとか美しさを保ったままで加工できないかと考えていた時に、思わぬ助っ人が現れました。函館でビーガンのレストラン「やさいばーみるや」を営んでいる後藤るみ子さんです。彼女は先のブームの時にピンクのアスパラを広める活動に一役買っていたのだと言います。早速連絡して聞いてみました。答えは「茹でるときにヴィネガーを入れること」。焼く場合は「断面を加熱すること」。

 その方法でサッと茹でて、作っておいたマリネ液に入れ一晩寝かせたピンクのさぬきのめざめは、ため息の出るような美しさでした。紫の方は根元から5センチくらいはピーラーで皮を剥きますが、元々そのままでも食べれるものなので、縦に切って断面のみ軽くグリエして温かいサラダにします。これにミキュイにしたサクラマスを添える料理がぼくのレストランの春の定番です。

 このアスパラは香川県観音寺市にあるURAfarmさんから取り寄せています。彫刻家だったご主人と写真家だった奥さんが二人で始めた農場です。と書くと、なぜ農業に転身したんですか?と聞きたくなるのが人情ですが、ぼくも同じように、人から散々、どうして神学部卒業してるのにコックさんになったんですかと問われ続けてきたので、ずっと尋ねることができませんでした。ぼくの場合、その質問に答えるのはとても難しい。なぜなら、今でも正解がわからない。浦さんたちも同じかもしれないと思うから聞き出せなかったのです。

 今でも時々、料理を作っている自分が不思議に思えることがあります。もう一人の自分がいて、冷静に観察している感覚。なんでぼくは料理を作っているんだろう。もっと何か他のことができたんじゃないだろうか。
 後悔しているわけではありません。ただ、どうしてこの道を選んだのだろうと自分に問うている。あの時の逃げ場所が料理の世界だったんだろうか。かといって、楽な世界ではありませんでした。本当はそこからも逃げ出したかった。でも、なんとか踏ん張って気がつけばもう46年も料理を作り続けている。
 後には下がりたくなかったのだと思います。そして、やる以上はとことんやろうとぼくは心のどこかで思い続けてきました。

 浦さんの場合、農業をやろうと言い出したのは奥さんだったようです。彼女は農業の写真を撮ってそれを作品にしていたから、その選択はそれほど突飛ではなかったようです。ではご主人の方はどうだったのでしょうか。ただ直接会ってお話しした時に、彫刻で生活する難しさは語っておられました。
 その真意はともかく、二人で師匠に就いて修行を始めたけれど、この師匠がとにかく厳しい人だったようで、本当に辛かったらしい。それでも耐えて独立したところは、かけた年月に違いはあっても、ぼくと似たようなところがあったんだろうなと想像します。彼らは逃げなかった。

 苺栽培がやりたくて、二人は2年間レタスやネギを作ってお金を貯めたんだけれども、就農相談に行ったらアスパラを勧められて、それじゃ、ということでアスパラ農家になったあたりも、ぼくがフランス料理を選んだ時のようないい加減さが感じられて、ぼくはこのお二人に親近感を感じた、と言ったら怒られるでしょうか。
 それから13年。ぼくとマダムが訪れたURAfarmは立派でした。奥さんの聡子さんの運転する暴走(笑)軽トラックで訪れた圃場ではご主人の達生さんが青ネギを作っています。連日の猛暑でネギの葉先が少し茶色くなっている。それを引っこ抜いて、外葉を取って、こうして出荷するんですと達生さんが差し出したそれは生命力に溢れているようで美しかった。土の状態を色々と試行錯誤して、どんどんおいしくするようにしているんです、そう言って笑う彼の顔は陽に焼けているけれどもちょっと芸術家っぽかった。青ネギは1日で900キロも出荷しているそうです。
 その後、ぼくたちは点在するアスパラのハウスを見て回りました。全部で10棟くらいはあったでしょうか。これは聡子さんが管理しているようです。農場開場当初がアスパラ栽培であったことを考えると、一歩引いているように見える聡子さんが実はしっかり者であることが想像できます。だからうちのマダムと気が合うのかと、軽トラの荷台で揺られながらぼくは苦笑していました。

 最後にヴィオレッタを栽培しているハウスに連れて行ってもらいました。それは三つある畝の一つの、半分くらいのスペースでした。これだけ?と問うと、ヴィオレッタを出荷しているのは道野さんのところだけなんです、という答え。「そのうち注文分だけ袋を被せて、遮光してピンクにしているんです」。ぼくは恥ずかしくなりました。そして聡子さんに言いました。「ごめん、これからはもっと大切に扱うから」。被せてあった袋を取ったそのアスパラは、ぼくの目には作物というよりも作品に見えました。

 今回の訪問に際し、車を運転して同行してくれた友人のことも紹介したいと思います。丸亀市で「シェ長尾」というフランス料理店を夫婦で営む長尾武洋くん。今回の旅のもう一つの目的は、彼のところで食事をすることでした。
 ことでん(高松琴平電気鉄道)の、「栗熊」という小さな無人駅から歩いて10分。どんなところか想像できますか?とにかく鄙にも稀な、という形容がぴったりですが、立派な一軒家を改装したお店は隅々まで手入れされていて気持ちがいい。URAfarm訪問の前夜にいただいた料理は、ぼくには親近感のあるまっすぐな仕立てで、彼の人間性が表れていて、ぼく達はとても良い時間を過ごすことができました。
 彼はうちのスーシェフの後輩で、一緒に「シェワダ」で働いていたのですが、あまり良い辞め方ができなかったそうです。それがずっと心に引っかかっていたのでしょうか、その後も料理の世界からは逃げ出さずに身を置きながら、いつか独立して和田さんに来てもらおうと努力した。その願いは、和田信平氏が亡くなったので実現しなかったけれども、とにかく故郷に戻って、その名も「シェ長尾」として頑張っています。

 浦さんのところからの帰り道、長尾くんに、目についたカフェに寄ってくれるようにお願いしました。そこはマンゴーの直売所も兼ねているので、パフェもある。なにしろ暑かったので、アイスクリームが食べたくなったのです。それを食べながら、ぼくは元美術家たちの作るアスパラや青ネギのことを考えていました。彼らもぼくと同じように、時々自分の仕事の不思議さを感じることがあるのだろうか。そういえば以前webで検索したときに、聡子さんがこんな発言をしていたことを思い出しました。「美術をしていた時と農業をしている今、自分の中で差はあまりない」。そうであるなら、彼らが農業をしていることに疑問が入り込む余地はないかもしれません。

 自然界においては、種子は風や雨や動物などに運ばれて地に落ち、芽吹きます。ただ、全てが順調に育つことはない。その土地に合ったものだけが成長してやがて実を結ぶ。
 浦さんたちは観音寺に根を張って、枝を大きく伸ばしている。長尾くんは丸亀に戻って自分が信じた料理を作り続けている。それならぼくも、これからはこう考えようと思います。「料理人になったのは天職だったからだ」。

 そして、この文章のタイトルの答えにやっと辿り着きました。    
      「さぬきはすでにめざめている」。
       鼓動が聞こえるようです。


by chefmessage | 2024-07-28 14:56