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ミチノ・ル・トゥールビヨンシェフ道野 正のオフィシャルサイト


by chefmessage
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溶ける函館

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溶ける函館
 いくつになってもタクシーでの移動が苦手です。どうも居心地が悪い。まず何を話せばいいのかわからない。それなら何も喋らなければいいのですが、それも気づまりで、早く目的地に到着しないかとソワソワしてしまいます。だから他の交通手段がある場合は時間が許す限りそれを利用します。でも一番好きなのは歩いて行くことです。多少無理をしてでも歩く方を選びます。ただ距離感が掴めなくて、歩き疲れたり道に迷ったりして、途中でタクシーを捕まえることもよくあるのですが。

 第11回世界料理学会in HAKODATEに招かれて出かけた函館ではできる限り路面電車を利用しました。前夜祭に出かける時に乗った路面電車は名探偵コナンバージョンで、古い型式の電車の外にも内にも所狭しとコナンの絵が描いてあって楽しい。一緒に出かけた吉森先生もなんだか嬉しそうでした。

 今回、ぼくの対談相手として登壇していただくことになった大阪大学栄誉教授の吉森保先生は、天神祭の奉拝船でご一緒して以来仲良くさせていただいているのですが、そのきっかけが面白い。
 そもそも天神祭の奉拝船というのは、一年に一度だけ降りて来られる天神様をお迎えする船のことなのですが、その中の一艘である「天満天神研究会」通称「天天研」号に毎年お弁当を届けることがうちの店の夏の風物詩になっています。何故なら、お弁当をみなさんに配って説明するという名目でぼくとマダムが乗船を許可されているからです。
 この船の乗船メンバーは、責任者である天神祭研究の大家、高島幸次先生が毎年選ばれるのですが、錚々たる顔ぶれです。作家、学者、思想家に芸術家と、普段お目にかかれない方達ばかり、そういう人たちとワイワイ喋りながら奉納花火を見物するのは本当に楽しい。そして最後に全員で「大阪締め」をしてお別れするのですが、ある年のこと、マダムがびっくりした表情でぼくにこう言いました。「後ろの席の方が、今日のお弁当はノーベル賞の晩餐会の料理よりずっと美味かったとおっしゃってる」。ほんまかいな?とぼくは我が耳を疑ったのですが、それが吉森先生との出会いでした。2016年にノーベル生理学・医学賞を受賞された大隅良典先生の片腕として共同受賞者の候補になりながら、先人に敬意を表してその栄誉を譲られたことから、大隈先生に請われて共に授賞式に臨まれた吉森先生なので、その言葉に偽りはなかった、ということでそれからはずいぶん懇意にしていただいています。

 その吉森先生が食事に来られた時にダメもとで、一緒に函館に行きませんか、とお誘いしてみました。世界料理学会というのがあるんですが、ぼくと登壇し対談していただけないでしょうか?というのも、以前に「不老長寿の食事術」というタイトルの本を送っていただいて読んでいたので、まんざら的外れにはならないだろうと思ったからです。

 吉森先生は生命科学者で、専門は細胞の研究です。そして大隈先生が酵母で発見した細胞のオートファジー(自食作用)に関する遺伝子をもとに、その仕組みが動物にも共通する裏付けを実証された方です。ではオートファジーとは何か?先の本から引用します。
「細胞の中の物質を回収して、分解してリサイクルする現象あるいはシステムです。」
 すなわち、このシステムが正常であると人は健康を維持できるわけで、そのためにどういう食生活を送り、何をどう食べればよいかを知れば「不老長寿」になるということだから、料理学会のテーマとしてはよいのではないかとぼくは思いました。それに、これまでの登壇者はほとんどが料理人あるいは食に関係する人たちで、話の内容はほぼアウトプットです。何をどう加工するか、食材をどう調達するか、あるいは飲食店経営の問題や人材確保の方法など。これまで誰も、そのようにして出来上がった食べ物がどのように人の体に受け入れられているのかを語ったことがない。すなわち、インプットが話題になったことがないのです。栄養価の話などはあったかも知れない、でももっと根本的なこと、食べないと人が生命を維持できないのは何故なのか、人の体はどのようになっているのか、生きるとはどういうことなのか、そして死ぬとはどういうことなのか、そういうことを当たり前のことだと切って捨てず、もう少し科学的に理解する機会があってもいいのではないだろうか。それを知れば、自分たちの仕事をもっと幅広く捉えることができるのではないだろうか。

 吉森先生の奥様の一言が現実化第一歩となりました。「私、函館に行ってみたい」。スケジュール的にも大丈夫と聞いて、ぼくは世界料理学会in
HAKODATEの実行委員代表、レストラン・バスクの深谷宏治シェフに「不老長寿の食事術」を送った上で要請しました。「ぼくと吉森先生を登壇させてください」。

 ぼくとうちのマダム、そして吉森ご夫妻の函館巡業は大成功でした。前評判も高かったのですが、吉森先生の壇上での解説がとてもわかりやすくて、たくさんの方が興味津々で聞いてくださった。集まった全国のシェフたちにとっては意表をつくテーマだったようで、講演の後は旧知の友人のように接してくれて、最初はアウェイ感を感じておられたお二人もずいぶんリラックスしたご様子でした。

 最終日の夜は「港の庵」での打ち上げです。例の路面電車で向かうことにしました。でも、最寄りの停留所に着くには一本後の電車にしなくてはなりません。「十字街」というところまでは同じなのですが、先の電車は左折、ぼくたちのは直進するからです。マダムが十字街まで先の電車で行って、そこから2駅歩きましょう、と言います。吉森先生、どうします?と聞いたら、ぼくも歩きます、との答え。吉森先生、結構せっかちなんです。
 「十字街」で降車し「港の庵」のあるベイエリアに向かって4人で歩き始めました。路面電車の上下線路を中央にして左右一車線の道路。石畳の幅広い両側の歩道。左の角に古めかしい洋館が煌々とした灯りの中に浮かび上がっています。街灯がまばらだから、闇がところどころ蹲っていて、昔の繁栄を偲ばせる蔵があったり煉瓦造りの倉庫があったり。柔らかな光があり、また闇があって瀟洒な居宅の玄関灯がふっと現れたり。人通りもまばらで、静かで。「昔住んでいたドイツの街みたいだ」と吉森先生が呟きます。左手上に函館山の灯り、その麓の教会群もちらちら見えます。澄んだ大気、歴史の微かな息遣いの聞こえるこの街は本当に美しい。そしていつかはこの街に住んでみたいとぼくはしみじみ思っている。

 「港の庵」は古めかしい洋館で、海のそばにひっそりと佇んでいるはずなのに、すでに賑わっています。シェフたちが勝手に厨房に入って行って、運び込まれる食材を思い思いに調理してテーブルに並べます。それをワイン片手にワイワイ言いながらみんなで食べる。重鎮も若手もジャーナリストも生産者もみんな和気藹々。岐阜の和食の重鎮とフレンチの神様と奇跡のリンゴシェフの3人が肩組んで歌を歌っている。吉森先生は質問攻めに合いながらももりもり料理を食べ、グイグイワインを飲んでいる。多分、ここにいる人たちは楽しかった今夜のことを一生忘れないだろうと思う。

 次の日はマダムと仲良しの女性がやっているヴィーガンレストランでランチを食べて、さて空港に向かおうとしていたら渡島振興局の松田さんがやってきました。忙しい合間をぬってぼくたちを空港まで車で送ってくれると言います。途中でお土産まで買ってくれて。
 そういえば、本当にたくさんの函館の人たちがぼくたちをもてなすために動いてくれました。数え上げてもキリがないくらい。どうすればお返しできるのだろうと松田さんに聞いたことがあります。彼は言いました。
「お返しはもう一回来てくれることだよ。また来て欲しいから俺たちはもてなすんだ。それが俺たちのやり方なんだよ」。

 ぼくの心にはいつの間にか函館が溶け込んでいます。まるで帰る場所ででもあるかのように。でも、ぼくは函館には移住することはないでしょう。その場所があるから、いつでも戻って来ていいよと言ってくれる仲間たちがいるから、ぼくは大阪にいていくつになっても戦えるのだと思います。

 ところで後日譚。
 函館の料理学会に東京から参加しておられた方に聞いた話です。最終日、吉森先生はぼくたちと一緒ではありませんでした。その日の夜に金沢で講演が予定されていたから、先生は単独で東京行きに搭乗、トランジットを経て小松空港に行かれたのですが、函館空港でソフトクリームを美味しそうに食べておられた姿をその方に目撃された。「先生、そんなの食べちゃダメなんじゃないですか」とその方は思わず言いそうになったと笑いながらおっしゃったので、ぼくはこう応えました。「いやそうではありません。先生は率先して人類の敵と戦っておられたのです」。

by chefmessage | 2024-10-20 16:38