迷走するつむじ風
朝起きると、ふと、もういいんじゃないかと思う事があります。加齢による体力と気力の衰えを感じて、もう少し余裕のある生活をするために、例えば地方に移住してできる範囲の仕事だけして天寿を全うする、そのために動き始めたほうがいいんじゃないだろうか、なんて、ずいぶん弱気なことを考えたりすることが増えてきました。
その反面、今一緒に働いている仲間達の生活を守ってやりたい、あるいは単純に離れ難いという気持ちもあって、なんとしても店は存続させる、そのためにできることは全てやっていこうという意志も根強く、なかなか料理人の老後は悩ましい。
ただ、飲食店を長く続けていくと実はいろんな弊害も出てきます。いわゆる常連様の絶対数が減っていきます。ではその分、新しい常連様が増えていくかというと、そうはうまくいきません。ご両親がうちのお得意様であったから、その子供さん達も来てくださるかというと、そうでもない。飲食店は次から次へと生まれてきます。情報量も膨大だから、既存店は何らかの方法で延命策を練らなければ忘れ去られてしまいます。しかしそれはとても難しい。なぜなら、メディアは新しいものやことを紹介することで成り立っているからです。
36年も続けていて、今更新鮮味と言われてもなぁ、とため息ひとつ。でも、古臭いと言われるのが嫌で、自分ではずっと前進してきたつもりなんだけどなぁ、と次のため息。元々、自信満々な料理人ではないのです。なんて事言うと意外に思う方がたくさんおられるかもしれません。むしろ強面の料理人として認識されていたところは確かにあります。しかし実際はいつでも恐れていました。いつか「王様は裸だ」という人が現れる、そう思って怯えていた。
それは今でも変わりません。むしろ強くなっているかもしれません。近頃、判断力が鈍っているのではないかと、ふと感じる事があります。だからお客様がいらっしゃって、料理を始めるときに「大丈夫か?」と思う自分がいます。「まだやれるのか?」。ただ、それだから今まで以上に丁寧な仕事、それこそ細部に至るまできちっと仕上げるようになったので、完成度はずいぶん高くなっているとは思います。
だからもっとたくさんのお客様に来ていただきたいと熱望しているのだけれど、思うようにいかなくて、また同じ疑問にぶち当たってしまいます。
オレの料理は古くさいのか?
そんな時、「Il Povero Diavolo(イルポーヴェロディアヴォロ)」の羽田達彦シェフとコラボすることになりました。大阪の木津市場内にあった店を閉めて東京は日本橋に移転するまでの間に一度やってください、という依頼を受けていて、それをうちの店で実現することになったのです。
鬼才と言われた料理人です。39歳だから32歳も離れています。そんな彼とどう対峙するか。でも、何か得れるものがありそうな気がする、ぼくはそう思いました。そんな彼から「料理が決まったから説明に行きます」と電話がありました。今回はまず先に彼に料理とデザートを決めてもらって、それからぼくとマダムがそのほかを考えるという段取りです。
これまで数多くコラボを開催してきましたが、往々にしてコースの流れがチグハグになりました。お互いが自分を主張しようとするから整合性に欠けるのです。だから近頃ではよく知った相手としかコラボをしなくなったのですが、今回は羽田シェフの料理の流れに沿う形で進める意向だったので、まず彼の説明を聞こうとなったのです。
そしてそれを聞いたのですが、理解できない、というか、全体像が把握できません。なぜそんなことをするのか、何がしたいのかわからない。結局曖昧なまま自分の料理を決めざるを得ませんでした。
そうこうするうちにその日が近づいてきたのですが、車を持たない彼の仕入れに何回かつきあい、厨房のない彼と一緒にうちの店で何日か仕込みをするに従って、その人柄と料理に対する考え方がある程度わかるようになりました。でも、ぼくの心の中には常に葛藤がありました。肯定と否定がせめぎ合っている。オレの知っている料理とは根本的に違う。
そんな気持ちを持て余していたある夜、「教皇選挙」という映画を見ていたのですが、レイフ・ファインズ演ずる首席枢機卿の演説の言葉に心を打たれました。「確信を持つ人を教皇に選ばないでください」。
これこそが正しい、こうでなければならない、そのような気持ちが「確信」だとするなら、それ以外は全て拒否されてしまうことになります。でも、そうなると多様性というものは意味をなさなくなり人は歩むことを忘れてしまう。
迷い揺れながら答えを求める、世界で14億人の信徒を抱えるローマ・カトリックの最高指導者にはそういう人がなるべきだと彼はコンクラーべが始まる前に説いたのです。
そうか。自分の古さとは、心の底に横たわる「確信」のことなのかと思いました。それを解放すれば羽田シェフの料理はもっと理解する事ができるかもしれない。ハモを生のまま刻んで、出汁と合わせてミキサーで粉砕し、それを濾してシャーベットにしたり、鮎を丸ごと煮て出汁をとり、それでスープパスタを作ったり。加熱していなくても原型が一切なくても、それを口にした人が美味しいと感じたのならば、それはまさしく料理ではないか。
面白いと思いました。俄然、彼とのコラボは楽しみになった。では、ぼくの料理はそれを受けて変化したか?そうではありませんでした。ぼくは自分のやり方をさらにブラッシュアップし、丁寧に仕上げることに留意することにしました。彼の方法論とぼくのそれとは異なります。出発点がまるで違うのだから。でも、行こうとする場所は同じ、それでいいのではないか。迷い揺れながらそれでも進もうとする姿勢に年齢差はない、ぼくが彼とのコラボで得た最大のものはそれであったと思います。
だからといってその後、予約帳の余白が少なくなったのかというとそうは簡単にいきません。せっかくその気になってるんだから、もっと仕事させて欲しいと思うのですが悔しさは増すばかり。そういう時に話し相手がいると気分も上向きになるかもしれないと伊勢の河瀬毅シェフに電話しました。オレ達は女子高生か、と思うほど長電話したその最後あたりに彼が放った言葉に痺れました。
「今までは前哨戦、これからやとぼくは思っとる」。
彼はぼくより一学年だけ下だから、ほぼ同い年なのにその意気軒昂たるや恐るべし。一気に背筋が伸びたような気がしました。
そうか、これからなのか。それだけは確信と言ってもいいのではないか。
それなら、、、
希望はまだある、オレの料理がもっと良くなるための時間は残されている。
たとえ明日の朝目覚める事がなくても、オレは明日の夢を見るために眠りにつくことができる。
朝がやってきたなら、まずこう言おうと思います。
「これからやで」。
東京に行く羽田くんが成功しますように。
祈りながら、ぼくは毎日が再出発です。