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ミチノ・ル・トゥールビヨンシェフ道野 正のオフィシャルサイト


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2014年 04月 18日 ( 1 )

映画のような話

 これはフェイス・ブックにも投稿した話なので、それを目にされた方には内容が重複することになるのですが、どうしても詳細が書きたくなったので、よろしければ今一度お読みになってください。

 それは40年くらい前のこと。ぼくには親友がいました。彼は成績もよく、明朗快活で学級委員タイプ、ぼくはといえば、落ちこぼれの不良学生、本来ならば水と油ほど違う高校生だったのですか、何故か気があいました。
 彼は何代か続いたカツラ屋の一人息子で、当時心斎橋のど真ん中にあった彼のお家、というかビルに、ぼくはよく泊まりに行きました。
 一階の作業場では、彼のお母さんが職人さんたちとカツラを作っています。カツラといってもいわゆるウイッグではなく、時代劇の女優さんがかぶっているいるような本格的な日本髪のものです。入り口の扉を開けて、彼が大声で「ただいま」と言うと、彼のお母さんが「お帰り!」「ごはん食べといで」と、元気に言い返します。カバンを放り込んで、ぼくたちは意気揚々、街に繰り出します。そして、お好み焼き、ハンバーグ、それからカツサンド、最後にコーヒーと、食べ物屋さんのハシゴをします。とにかく、二人ともよく食べた。いずれも心斎橋の名店なので、どこの料理もおいしかった。ただ不思議なことに、どの店でも彼はお金を払わないのです。「ごちそうさん。」と言うだけ。そして、「次、行こか。」。
 「お金、払わんでエエのか?」と聞くと、「ツケといたらエエねん。」と言います。ぼくは呆気にとられました。そして、老舗の持つ底力に畏怖しました。
 彼の部屋に戻って、夜遅くまで馬鹿話をして騒ぎました。本当に彼との付き合いは楽しかった。それは、ぼく達が別々の大学に進むまで続きました。
 それから数年たって風の噂に、彼が大学を中退したと聞きました。しばらくして、気になったぼくは心斎橋の彼の実家を訪ねたのですが、そこは何故か中華料理店になっていて、どう見ても、彼の家族が住んでいる様子はありませんでした。そして、彼の行方は、誰に聞いてもわからなくなった。
 いったい彼はどこに行ってしまったのか。どこで、どうして暮らしているのか。ぼくはずっと気になっていました。これほど探しても見つからないということは、もう彼は亡くなっているのではないか、とさえ思っていたのです。

 ある日、フェイス・ブックに友達リクエストがひとつ入っていて、それは彼とはまったく別の、でも同姓の人でした。その時、ひょっとしたら、とひらめいたのです。あるいは彼もフェイス・ブックをやってるんじゃないか。ダメもとのつもりで検索しました。すると・・・
 まぎれもなく彼が、美しい金髪の女性と並んで写真に写っています。ぼくは思わず叫びました。「おい、見つけたぞ!。」。

 スタンフォード大学卒業、エマーソン・カレッジ教授!専攻は生物統計学。
 うそやろ。大学教授ということはPh.D(博士号)もとっているのでしょう。スタンフォードもエマーソンも、ともにアメリカの超名門校です。驚きました。死んだとさえ思っていたのに。
 すかさずメッセージを送りました。翌朝、返ってきた返事に、涙が出たとありました。うれしくて眠れなかったとも。
 そして、ぼくは悟ったのです。彼は行方不明になったのではなくて、日本にいる友人達と連絡をとる余裕もなかったのだと。すさまじいほどの勉強量だったのでしょう。そうして彼は、熾烈な戦いに勝ち続けてきたのでしょう。日本を振り返るどころか、より深くアメリカという国に溶け込むために、彼はあらゆるものをかなぐりすてて突き進んできたのだと、ぼくは思うのです。
 すごい奴やなあ。

 その彼から、今日、新しいメッセージが届きました。辞書を片手に読みました。
「道野くん、ぼくは今、気がついたよ。きみと過ごしたときに、君が語ってくれたことが、ぼくの人生における心の核になっている、と。ぼくはすべてをいまだに理解しているわけではないが、きみは今でもぼくの師匠だよ。」。おおよそですが、そのような内容でした。
 なんということなのでしょう。確かに、当時のぼくは風変わりな高校生で、わかりもしない哲学書をいつも読みかじっていました。そして、自分とは何か、ということをいつも考えていました。例えば、人間は水の入ったコップなのではないか、とか。
 体は入れ物であり、そこに様々な価値判断の基準という水が注ぎこまれているとするなら、それらはどこから来たのか。それは、自分で選んだものか、それとも他者が強制的に詰め込んだものか。ならば、すべての価値判断を放棄すれば、本来の自分を発見できるのか、などなど、まあ、そのようなたわいもないことです。
 多分、そのころのぼくは、そんな愚にもつかない論議に夢中だったのでしょう。そしてぼくは、結局、料理人になりました。自分とは何か、ではなく、何になるべきか、という答えを求めて。ぼくも未だに全てを理解したわけではありません。だから、彼に師匠などと言われると、本当に困ってしまいます。

 でも、ぼくは彼と再会できて、ひとつだけわかったことがあります。ぼくは、最後まで料理そのもので勝負するべきなんだ、ということ。
 レストランの成功は、場所であるとか、雰囲気であるとか、あるいはサーヴィスにあるとか。それ以上に、不可視な、運というものに左右されるというのが、多くの人たちの結論です。でも、運なんて、それこそ雲をつかむような話です。だから、
 彼が、どんなときもひたすら自分を信じて、一歩一歩登りつめてきたように、ぼくも自分の力量と才能を信じて、料理というたった一つの武器で、正面から最後の戦いを挑むべきなのでしょう。

 Prof,Satake You are great,my best friend.
勇気をありがとう。きみの懐かしい大阪で、会える日を楽しみにしているよ。


 
 
by chefmessage | 2014-04-18 18:37