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ミチノ・ル・トゥールビヨンシェフ道野 正のオフィシャルサイト


by chefmessage
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函館にて。

函館という街を初めて訪れたのは、ぼくが20歳の時でした。入学したばかりの大学に馴染めず、親に無断で退学届を出したぼくは身の置き所がなくて、とにかく旅に出ようと思いました。どうして生きていけば良いのかわからなくて、とても苦しかった。

その頃はまだJRではなくて国鉄でしたが、周遊券というものがあって、今で言うと「青春18きっぷ」みたいなものだと思うのですが、1週間くらいは列車に乗り放題だった。それを買って、ぼくは北へ向かいました。 その切符では特急には乗れなかったから、大阪を出て、24時間くらいかかって青森に着きました。若いとはいえ、さすがに疲れたぼくはそこで一泊して、次の日に北海道に向かい函館に降り立ちました。函館山からの夜景を見た記憶があるから、ぼくはそこでまた一泊したのでしょう。それ以降の旅程は詳しく覚えていません。稚内まで行ったことは確かだけれど。そして、周遊券の期限が切れるまで家には帰らなかった、というより帰ることができませんでした。でも他にいくところがないから帰宅し、父に正直に話しました。案の定、父は激怒して「出て行け」と言ったので、ぼくは家を出て知り合いのところに居候を決め込み、今で言うフリーターになったのですが、もう一度、今度は本当に行きたい大学に行こうと決意し、昼間はアルバイト、夜に独学ですが受験勉強をして翌年に同志社に進学しました。父は学費だけは出してやると言ってくれました。それから4年後、料理人になると宣言して、また父を失望させてしまったのですが、その時に彼が重い溜息とともに言った言葉を、ぼくは今でも覚えています。「お前はほんまに元の取れん子供や」。商売人だった父らしい一言でした。

その函館を再び訪れる事になったきっかけは、ル・マンジュ・トゥーの谷昇シェフからの電話です。「ミチノさん、函館に来てくんない?」。10月28日と29日に函館で「世界料理学会」という催事があって、そこに登壇する谷さんの対談相手になって欲しいという依頼でした。 谷さんと会ったのは多分3回くらいです。彼の店に食事に行ったのが2回、辻調理師学校の講習会で1回。でも、初対面のときから気が合うと思っていました。それは彼も同じだったようです。 「オレさぁ、知り合いはいっぱいいるんだよ。でも、しゃべって楽しいひとがいないんだ。ミチノさんとならずっと喋っていられる気がするんだよね」。 函館の「世界料理学会」のことは以前から知ってはいました。気にもなっていたのですが、人のたくさん集まる場所へ出向くことが苦手だから、自分とは無縁だと思っていました。でも、谷さんにそんなふうに誘われては断れません。「いいよ」と二つ返事で承諾しました。 そうして、ぼくの生涯二度目の函館訪問が決まりました。

当日、伊丹空港の搭乗口に出向くと、「オテル・ド・ヨシノ」の手島シェフと「エル・ポニエンテ」の小西さんがいます。みんな行く先は同じで、手島くんは初めてですが、小西さんは第1回目から参加しているとのこと。ちなみに今回は8回目ということでした。函館空港に到着して3人でタクシーに乗りホテルまで。ぼくだけ別のホテルだったので、そこから路面電車に乗って一人でチェックインを済ませました。その日の予定は歓迎パーティーだけだったので、ぼくは散歩にでもでかけようとホテルでもらった観光マップを広げました。歓迎パーティーのあるレストラン「ラ・コンチャ」は路面電車の「十字街」という駅が近いようです。見ていると、路面電車の線路をはさんだ反対側に「ハリストス正教会」という文字があります。なんとなく気になる。だからパーティーの前に散策に出かける事にしました。

木の床の路面電車って懐かしいな、少しこの街が好きになりつつあります。降りて、スマホの地図を頼りに歩き始めます。石畳の広い坂道があって、そこを登って行くと函館山のロープウェイ乗り場のようです。右側に先の丸いビザンチン様式の塔が見えたので、その方向に足を向けると、東本願寺の大きな講堂があります。大きな別院です。その前を通り過ぎようとすると、すごくモダンな別の教会が上手にありました。クローバーみたいな形。これはきっと空から見下ろすと十字架にみえるんだろうな。聖公会でした。ちょっと先に、もう一つ別の教会があります。カトリックです。ここも立派な美しい教会でした。ゴシック様式です。そして、ハリストス正教会。ここはロシア正教です。こんな狭い区画に別々の宗派の教会が三つと仏教寺院が一つある、これは驚きでした。
日が沈もうとしています。街に陰翳が出来ている。静かです。でも、所々に灯りがあって、人の住む温もりも確かにある。ヒンヤリと澄んだ空気を纏って、それぞれの建物が佇んでいる。時間が止まっているような感覚。「オレは確かにここに来たことがある」。懐かしくて、気持ちがゆるゆるとほどけていくようでした。素敵な街だな。

それから、旭川から来てくれた「メランジェ」の河原正典くんと合流して「ラ・コンチャ」、その後、谷さんと「ル・マンジュ・トゥー」のスタッフとともにお鮨屋さんで楽しく食事をして、ホテルに戻りました。なかなか眠くならなかったので、最上階の部屋のベランダに出て、函館駅の向こうに広がる海を見ていました。翌日から始まる料理学会のトップバッターになるのかと思うと、とても不思議な気持ちでした。あれからずっと、ぼくは旅をつづけているんだ。

トップバッターだというのに、ぼくと谷さんは電話で一度打ち合わせをしただけです。出たとこ任せの対談。ただ、ぼくは谷さんに、最後の5分間だけ時間をくださいとは言ってありました。単独で、聴いている人たちに伝えたいことがあったからです。 ぼくも谷さんもおしゃべりだし、気の合うもの同士だから、対談はスイスイと進んでいきます。やがて、最前列にいるスタッフが紙に書いたサインを頭上に上げました。「あと5分です」。でも話が終わらない。次に「まとめてください」のサイン、でも話題が途切れない。仕方がないから「すみません」と谷さんにお断りしてぼくは椅子から立ち上がりました。「ちょっとだけ個人的な話をさせてください」。

「実は函館に来たのは人生で2回目で、最初は20歳のときでした。その時、ぼくはどうして生きていけばいいのかわからなくて、とても苦しかったんです。だから、とにかく旅に出たくてこの函館にやってきました。その45年後に、今度はぼくはフランス料理のシェフとなってここで皆さんにお話をしています。45年の間にはいろんなことがありました。でも、あっという間だったような気がします。だから、もし今ハタチのぼくに出会えるなら、こう言ってやりたいと思います。自分を信じて、あきらめず、前を向いて生きていけばなんとかなる。そんなに苦しむことはないよ、と」。
「みなさんにもぼくは言いたい。67歳の谷昇と、もうすぐ66歳になる道野正が、最後までやり続けると言っていたその言葉を忘れないでください。そして、苦しい時には思い出して、もう一度ファイティングポーズを取ってください。そうすれば、ぼくたちも皆さんと共に生きていける。生きるとはそういうことだと思います。ぼくをこの地に再び立たせてくれた皆さんに、そしてそのきっかけを与えてくれた畏友、谷シェフに心から感謝します、ありがとうございました」。話の途中なのに遮って、自分の話をしたのにもかかわらず、谷さんは最後まで聞いてくれました。そして立ち上がって握手をしてくれた。ぼくたちはハグまでしてしまいました。素晴らしい知己を得て、ぼくはとても嬉しいと思った。
それから2日後、大阪にもどるまで函館で過ごした時間は夢のようでした。同業の仲間たち、若い人たちともレジェンドシェフたちとも、まるで家族のように親しくなれた。それはまるで異次元の世界のようでした。 みんなが微笑んでいる、みんなが真剣に相手の話に耳を傾け、同じように熱く語る。別れ際に、それまで雲の上の人だと思っていた音羽和紀シェフから「ミチノさん、是非一度、うちの店に来てよ」と言われて感激したし、吉野建シェフからは「オレも頑張るから、ミチノさんも頑張ってよ」と言われて思わずここでもハグしてしまったなんて、とてもじゃないが他所ではできないことが函館では自然にできてしまう、そのことにも驚いた。そして、そのような磁場を長年にわたって作り上げる発端となったのが、函館「レストラン・バスク」の深谷宏治シェフの個人的な夢だったということに、ぼくは畏怖を覚えました。でも、まだその夢は成就していない。物語はまだまだ続くようです。できればその物語をぼくはずっと見ていたい。人はどこまで行けるのか、ぼくも我が身で示してみたいと思う。

大阪に戻ってから、谷さんの店のマダム楠本さんよりメールが入りました。「谷もすごく楽しかったみたいで、帰ってからずっとミチノシェフの話ばっかりしています」。ぼくは谷さんに手紙を書きました。「苦しい時は、谷さんも頑張っているからオレも頑張ろうと思うようにするからね」。

手の中にある周遊券の期限はまだ切れてはいません。

by chefmessage | 2019-11-29 21:00