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ミチノ・ル・トゥールビヨンシェフ道野 正のオフィシャルサイト


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歯医者で泣いた日

  歯医者で泣いた日

 歯が痛くなったので、30年来通っている歯医者さんに行きました。名前が呼ばれて指定された診療台に乗っかって待っていると、先生が来て「あの薬は効いたかな」といきなり尋ねてきます。「は?」と首を傾げた時、受付の女性が慌てた様子でやって来て先生に耳打ちしました。「その人ではありません」。小声だったけど聞こえてしまいました。
 症状を訴え治療してもらったけれど、痛みは治らなかった。
 
 ぼくはこの先生にこれまで随分お世話になりました。料理人という職業柄、歯は大事だったから、何かがあるとすぐにここに来て治療してもらいました。でも、最初に診察してもらった時すでに40代後半、あるいは50代始めくらいだった先生のお年を考えると、寂しいけれど、他の医院を探した方がいいな、なんて考えている間に、歯の痛みはどんどん激しくなっていきました。
 不思議なんですが、大体困ったことが起きるのは土曜日とか日曜日、なんてこと多くないですか?案の定、土曜日の朝に歯の痛みは最高潮になりました。さて、どうしよう。弱り果てたぼくは、丁度出かけようとしている長女に声をかけました。「急で悪いんだけど、治療してもらえるように聞いてもらえないかな?」。「すぐには無理だと思うけど、一応院長に聞いて連絡する」。そう言って彼女はバイト先の歯科医院に向かいました。
 程なくして電話がかかってきました。「診療が始まる前に診てあげるって。だから、すぐに来て」。

 「右奥のブリッジが古いので炎症を起こしています。だから外して治療しますが、とりあえず痛みは抑えましょう」。そんなことから始まって、それから順番に悪いところを全て治療していただくことになりました。それが2年前のことです。そうこうするうちに新型コロナ騒ぎとなり、ここしばらくはご無沙汰していたのですが、その間に専門学校を卒業した娘は国家試験にも合格し、歯科衛生士としてバイト先にそのまま就職することになりました。スタッフ全員が集まった歓迎の食事会にぼくの店を選んでくれたのは院長だったと、娘から聞いたのは去年の春のことでした。

 その歯科医院に久しぶりに行くことになりました。治療そのものは比較的簡単に終わったのですが、定期的な歯の掃除ができていなかったので、院長がしていってくださいと言います。わかりました、と答えると、席を立った院長が誰かと相談しています。相手が戸惑いながらも、「いいですよ」と答える声が聞こえました。院長が戻ってきて、「ぼくがやってもいいんですが、ミチノさんの手が空いているので、彼女にやってもらいます。大丈夫、だいぶ上達していますから」。そして、「安心して任せてください」と念を押します。院長も大変やな、親子に説得せなあかん。なんだか気の毒な気持ちになりました。
 娘がやってきました。緊張しているみたい。
 「まずブリッジ用の特殊なフロスの説明をします」。終わると、「お掃除しますから席を倒しますね」と言います。え、そんなことキミにできるの?と思っているうちに席が動いた。失礼します、顔の上にタオルがかけられます。歯の掃除が始まりました。最初は怖々な感じでかなりソフトです。もっと自信持ってやらんかい、短気な父は心でそう思います。実験台にするつもりで力入れてしっかりやれよ。でも、そんな父の心配をよそに、その手の動きはどんどんスムーズになっていきます。なかなか上手やん。

 この子は本当に勉強が嫌いでした。母親が勉強させようと机に座らせると決まってしくしく泣いた。勉強だけではなくて、人に何かを強要させられることがとにかく嫌だったようです。でも、では何かに秀でているかというと、そうでもない。このままだとあの子は高校に行けないかもしれないと、夫婦で悩みました。そこで中学3年になったときに、とにかく塾に行かせることにしました。嫌かもしれないけれど、1年だけ我慢して欲しい。
 公立の高校にうかった時、一番驚いたのは本人でした。ぼくたち夫婦は奇跡だと思った。でも彼女は相変わらず勉強しなかったし、部活も長続きしませんでした。母親は宣言しました。私はあの子にはもう何も言わない。好きなようにさせる。それに呼応するかのように娘はコンビニでバイトを始めて、ぼくに言いました。「私にはバイト代が入るから、もうお小遣いはいらない」。そして、高校3年間で貯めたバイト代と奨学金で専門学校に進みました。

 「次に歯茎の検査をします」優しい声です。手際良く、でも丁寧に工程が進んでいきます。あの子がやっているんだ。いろんな思いが駆け巡ります。

 ぼくは今思うと、本当にダメな父親でした。参観日や運動会には行ったことがない。それどころか、お誕生日もクリスマスにも何もしなかった。一緒に旅行なんて考えたこともなかった。いつか家内がぼくに言いました。「あなたは仕事ばっかり。このままだと、いつか娘たちに見捨てられるよ」。
 構わないから。お父さんのことは見捨てても構わないから。何があってもキミなら大丈夫だから。オレはキミのことを誇りに思っているから。
 やばい、オレは泣く。そう思ったらますますうるうるしてきて。

「じゃ、最後に歯に圧をかけてグラ付きの検査をします。」。指が歯を順番に押していって。「はい、お疲れ様でした」。
 顔のタオルが外され椅子が起こされた時、背後の娘がカルテに何かを書き込んでいる隙をねらって、うがいカップの横のティッシュをさっと取って、目頭を拭ったことは誰にも言えない秘密です。

 娘が離れていって、もう一度院長に点検してもらって、それから席を立って待合に戻る時、院長に言いました。「ありがとうございました。ちょっとうるっとしました」。それを聞いた院長は笑って二度ほど頷いた。いい人のところに娘は就職したとぼくは思いました。

 痛かったわけではないのに歯医者で涙が出るなんて、そう思って笑えました。外に出ると風はまだ冷たいしコロナ禍はまだ治らないけれど、春はすぐそこまで来ています。


# by chefmessage | 2021-02-17 21:34

クリスマスの灯り


  クリスマスの灯り


 今年のクリスマスほど静かで暗いクリスマスは経験したことがありません。


 ぼくのレストランがある大阪市福島区は飲食店が星の数ほどある地域なのですが、午後9時くらいになると、営業時間短縮要請もあって多くの店が灯りを消します。今日は12月の23日、明日はクリスマスイブだというのに。

 うちの店でも予約は芳しくありません。浮き立つような気分ではない。でも仕事はたくさんあって、スタッフもアルバイトも忙しく働いています。「蘇ボックス」のクリスマスバージョンが、告知すると同時に完売になったからです。

 4月の末から始めたテイクアウトの「蘇ボックス」は、全ての作業を自分たちだけでこなしています。受注から発送までのメールのやり取りやスケジュール調整、それから梱包に宅急便の受け渡しまで、新任の女性マネージャーがやってくれています。料理は、ぼくと勤続11年になる凄腕美人スーシェフが、スイーツセットを含むお菓子は全てマダムが作っています。個別の包装はアルバイトが担当して、総勢4人とアルバイト1名で「蘇ボックス」「スイーツボックス」は出来上がっています。

 内容は二ヶ月くらいで更新して現在はシリーズ4になっていますが、3で生産者の皆さんと、4ではパンの名店「ル・シュクレクール」とコラボすることで相乗効果が生まれて、現在も受注は途切れることがありません。

 そして何より嬉しいことは、121日から開始した4は、8割がリピーターさんからの注文であったということ。

 これには訳があります。


 マネージャーから厨房に回ってくる注文スケジュールには、RとかWとかBDとかの但し書きが添えられていることがあります。リピーター、結婚記念日、お誕生日です。それぞれに、おまけがつきます。袋に入った小さなお菓子や、BDの場合にはメッセージと名前の入ったクッキーなど。これはぼくの考えたことではありません。マネージャーとマダムの発案です。

 そういう気遣いの積み重ねが功を奏したということなのでしょう。たくさんのリピーターさんを得ることができました。


 また、もう一つの発見は、メールでのやり取りでお顔も知らない方々なのに、お礼のメールがたくさん届くことです。

 「一人娘が初めてもらったお給料でご馳走してくれました。親子3人、忘れられない夜になりました」というのにはグッときました。「一緒に食べた母が、今年一番の美味しさだと言って喜びました」、「90歳の父はブイヤベースが一番気に入ったようです」など、その様子が目に浮かぶようでした。

 そのようなお礼のメールは、マネージャーがプリントアウトして渡してくれます。一番新しいメールには、盛り付け写真が添付されていました。そして、「これで何があっても乗り切れると思います」という言葉で締め括られていました。

 それを読んで、思わずぼくは自分の店のスタッフに目をやりました。朝から晩まで、本当にみんなよくやってくれています。その一人一人にぼくは言いたい。君たちは本当に立派な仕事をしている。ぼくは君たちを心から尊敬し、誇りに思っている。そして、そんなスタッフが丹精込めて作った「蘇ボックス」が今日もたくさんの人のお家に届けられます。


 街は静かです。でも、お家の中で、家族一人一人の心に光は灯ります。そのお手伝いができることで、ぼくたちもまた勇気をいただいているのです。

 


 感謝を込めて皆さんに。

 「メリークリスマス!」忘れられない思い出となりますように。


# by chefmessage | 2020-12-23 16:23

 ワタリさんのガラス、フナイさんの箸


 自分のレストランを開業して31年になりますが、お箸を置いたことがありません。むしろ、頑なに拒否してきました。自分の料理に箸は馴染まないと思っていたからです。だから、お客様からの要望があったときだけお出しするようにしてきました。それなのに、今になってなぜ箸を作る気になったのか?

 それは、ぼくのお気に入りのワタリさんのお皿がきっかけでした。


 福井市の「ワタリグラススタジオ」さんは、越前海岸を真下に見下ろす高台にあります。初めて訪れたとき、まずその環境に感動しました。後ろは山、そして目の前は海。工房の前に置かれたベンチに座って夕陽を眺めるのは最高だろうなと思いました。四季折々、どんな表情になるのだろう、それを見てみたい。

 それから工房に入ったのですが、一番前の棚に置かれている一枚の皿に目が止まりました。それは桜色の、縁に向かって上方へ緩やかにカーブしている愛らしいガラス器でした。どんな料理を盛ればいいかな、ぼくは想像して楽しくなった。その桜色のものと、同じ型の藍色のものをしばらくしてから購入しました。それ以来、その2種類のお皿はぼくのとっておきになったのです。

 でも使ってみて、難点があることが判明しました。やはり形が和食向きなのでしょう。フォークナイフを使って食べると、お皿が不安定なのです。糸底があるのですが、中心からずれたところに上から力を加えると、最悪の場合、お皿がひっくり返ってしまいます。

 工房の長谷川さんご夫妻とあれやこれや検討したのですが、根本的に形状を変えないと難しい。それを避けて現状の美しいフォルムのままで使いたい、となると、解決策は一つしかありません。それは「箸を使って食べる」ことです。

 実はそれ以前から、箸の必要性は感じていました。昔と違って今は小さな料理が多いから、どうしても突き刺すよりつまむ方が食べやすいのです。「日本人にはやっぱりお箸が便利でしょう」という主張はぼくにはあまり好ましく感じられません。ただ単に、ぼくはより良い方向に進もうとしているだけだから。


 よし、箸を作ろうと思い立ったのです。でも、どんなのが良いのかよくわからない。そのとき、一人の人を思い出しました。そういえば彼女の実家は箸屋さんだったはずだ。「フードライターのヘベレケ日記」をWebで書いている船井香緒里さん。早速連絡を取ったところ、箸のサンプルを持って来てくれました。話を聞いて、サンプルを見せてもらって、おのれの不明を恥じました。そして、福井の小浜市にある工場「フナイワークス」さんを見学させていただくことになりました。その時にワタリさんにも立ち寄って、箸置きを別注するかと考えて、ぼくは一気に盛り上がったのですが、コロナ禍で全てが止まってしまった。

 それからは「蘇ボックス」の日々が始まりました。

 どこにも行かず、ひたすら作り続けた。今もその状況は変わっていません。


「そろそろどこかに行こうや」、そう言い出したのはぼくだったか彼だったか。彼とは神戸の「ルセット」オーナーシェフの依田英敏くんです。6年前のぼくの還暦パーティは、今思い出しても素晴らしい会でしたが、それは、彼の尽力無くしてはあり得ませんでした。それ以来、彼とは親友となりました。二人でいろんなところに出かけましたが、いつも彼が車を運転してくれるのでとても楽をさせてもらっています。二人とも同じ立場にいるので、仕事の上でも情報を共有できてありがたい。

 福井に行って、箸工場見学はどうやと持ちかけると、それはいいですねということになったので、連休を利用して出かけることになりました。どうせなら福井に詳しい人に案内をお願いしようと、神戸の森山硝子店に勤めていた廣瀬さんに連絡を取りました。彼は現在、家業である鯖江の漆器屋さんを継いでいます。最初は躊躇していた様子でしたが、ルセットの依田くんも同行すると言ったところ、わかりましたという返事。依田くんは森山硝子店の上得意であったようで、こんなところは、お互いの人間関係が交錯していて便利でよろしい。

 当日、小浜市役所の駐車場で廣瀬さんと待ち合わせ、昼食ののち「フナイワークス」さんへ。


 分業が盛んなお箸の業界にあって、原木の切り出しから塗りの仕上げまで行う工場はここくらいかもしれません。でもそれは、伝統産業を後世に残すための英断であったようです。

 いろんな業界で価格競争は熾烈になっていますが、お箸の業界も同じ。そして、しわ寄せは根元に近づくほど顕著になるようです。福井でも、原木から箸の原型を切り出す職人さんが激減している。人口減少というより、後継者不足です。代々続いた仕事だけれども、子供に後を任せるには厳しすぎるということなのでしょう。それなら、従業員として職人さんを雇用し、生活の安定を保証して働いて貰えばいい、そんな使命感が「フナイワークス」さんにはあったようです。

 箸の製造工程は細分化されていて、一本の箸にどれだけの手間がかけられているか、実際に見学してよくわかりました。そしてこの工場の特徴は、機械化して問題ないところは機械に任せるけれども、肝心なところは職人さんの手作業で行っていることです。

 「神は細部に宿る」そのことを実感してぼくは感動しました。例えば箸の先。あれも職人さんが削って丸くしているのです。塗りの工程も見事だった。そして、黙々と作業する職人さんたちの礼儀正しさ。


 何故もっと早く気づかなかったのだろうと思いました。ぼくたちの周りには大切なことがいっぱいあるのに、ぼくたちは見ようとしなかった。もっと気持ちが豊かになったのに。もっと思いやることができたのに。そのことで、もっと自分を大切にできたのに。


 ぼくのために箸を作ってくださいとお願いしました。色、サイズ、形。お父さんが急逝され、若くして代表取締役となったばかりの船井重伸さんが快く応じてくれました。「とりあえずサンプルを作ります。一ヶ月ください」。そんなにかかるものなのか、とは思いましたが、後で廣瀬さんに聞くと、漆塗りの場合はまだ急いでくれた方なんだそうです。

 ぼくはたくさん注文することができません。最少ロットにも遠く及ばないでしょう。それでもフナイさんはぼくの無理を聞いてくれました。

 多分、ぼくのレストランで使う最初で最後の箸になるでしょう。そしてそれは、ぼくにとっては最高の箸になるはずです。


 それからぼくたちは鯖江に向かい、廣瀬さんの会社で漆器をいくつか見せてもらってからホテルへチェックイン。その後、レストラン「レ クゥ」へ。

 福井県愛にあふれたお店です。食材から調度品に至るまで。そして何より美味しい料理。このお店では最後に必ず炊き込みご飯(もちろん福井のお米です)が出てくるのですが、その日はコーンがいっぱいのっていました。食べ終えるとサーヴィスの女性が「おかわりできますよ」と言ってくれます。それでは、ということでお願いすると、今度はカレーのルーがかけられていて。

 ぼくも依田くんも満腹、なのに廣瀬さんはそれからまだ3回もお代わりをしていました。元 高校球児は好男子ですが、並外れた大食漢です。


 翌朝はワタリさんへ。

 海岸沿いの道は見所がたくさんあります。車を止めて釣りをしたい場所ばかり。そしてワタリさんのスタジオはやはり素敵でした。奥さんの陽子さんは高槻市出身なので、同じ関西人、話が早い。トントンと話は終わり、で旦那は?と聞くと、古民家のペンキ塗りに行ってます、とのこと。町の有志が集まって、宿泊できるように改造しているのだそうです。面白いから行ってみようぜ。すぐにぼくたちは出発しました。

 大きな古い家、キッチンだけが出来上がっています。近所の人もやってきて、二人ともシェフなら、オープニングの料理を作りにきてもらおう、それがいい、という話になったのですが、ぼくは気がすすみません。ここまで来て仕事したくない。でも、依田くんは乗り気です。やっぱり彼は根っからの料理人なのでしょう。いつの間にか二人のコラボで話が出来上がってしまいました。

 その後、漆工屋さんや木工屋さんの見学をして、最後の訪問先の「杉原商店」さんへ。越前和紙の問屋さんです。


 昔の蔵を改造したショウルームは素晴らしくモダンです。世界中に販路を広げておられるのは伊達ではないなと思わされるセンスの良さ。ぼくはそこに展示されている「うるわし」というランチョンマットをお願いすることにしました。

 これは手漉きの和紙に漆を塗ったもので、独特の風合いがあり、同じ柄のものはありません。全部違った表情をしています。ランチョンマットとしては高価なので躊躇していたのですが、傍で見ていた依田くんの一声で決めました。「これしかないですよ」。

 28年間、神戸でトップを走り続けてきた男の一押しです。

 杉原さんも応えてくれました。在庫で足らなければ一から作りましょう。


 このランチョンマットの右端にワタリさんの箸置きがあり、フナイさんの箸がある。そして、左下には廣瀬さんにあつらえてもらう漆塗りのパン皿がある。これがぼくの店の最終のテーブルセッティングです。


 夢があって、いつかそれを叶えたいと思う。でも、ぼくにはもう、そのいつかはありません。残された時間は限られているから、今やらないとできない。コロナ禍の後、お客様は戻ってくるのか?あるいは、資金はどう捻出するのか?そんなことより、今やりたいことがある。そしてそれが、ぼくを行けるところまで進めてくれるのだと思う。


 コロナ禍で見つけたもの。それは人とのつながりの大切さです。ワタリさんやフナイさん、そして杉原さんにたどり着けたのはたくさんの人たちとの出会いが発展していったからです。そしてそれは、これからもまだ続いていく。これがあれば、この大切なものを守ることができたなら、ぼくは怯むことなどないと思う。ぼくだけではない、そのことに気づいている人たちが今のぼくの願いを受け止めてくれているのだと思います。

 依田くんと改装中の古民家にいたとき、こういうところに移住するのも悪くないよな、と話し合いました。

 朝は早起きして釣りをする。釣った魚は料理する。それを食べながら、のんびりと本でも読んで暮らせたら。


 でも、ぼくたちはわかっているのです。多分ぼくたちは最後まで仕事を続けるだろう。もうダメだと思い知るまでやり続けるだろう。それが人として幸せかどうかはわからないけれども、ぼくたちはそういう人間だ。

 それでいいと思う。そして、そうありたいと願っている。そのために必要なものは何か?


 心を込めて作られたものに対して敬意を払うことではないだろうか。それに見合う自分でありたいと願う気持ちが、ぼくたちをいつまでも成長させてくれるような気がします。


 武生の高速道路入り口で廣瀬さんと別れ、帰路につきました。車中で、充実した旅だったなと語り合いました。

 来年、依田くんの一年遅れの還暦パーティがあります。その実行委員長を仰せつかりました。いいパーティにしたいね、そんなことを話しているうちに、車はぼくの店に到着。小旅行は終わりました。


 でも、ぼくにはもう一つ仕事が残っているのです。店のテーブルの天板を探すために北海道まで出かけなければなりません。

 やっぱり、のんびりなんてできないな。

 でも北海道に行ったら、イトウ釣りには行こうと思います。1年にたった1日だけ、すべてから解放されるために。


 残された時間は少ないというのに、旅はまだ始まったばかりのような気がします。


# by chefmessage | 2020-09-15 17:54