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ミチノ・ル・トゥールビヨンシェフ道野 正のオフィシャルサイト


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道を作る

 今年は、ぼくが店を開いて30年目になります。こんなに長い間、店を続けることができたのは、それを支えてくださった方がたくさんいたからだと思います。そのうちの一人に重藤さんという方がいます。福岡県にある「マーズ」というデザイン会社の社長さんなのですが、この方は、ぼくが不調にあえいでいた時もずっと見放すことなく応援をしてくださいました。

 3年前の春だったでしょうか、その重藤さんから、2.3日福岡に来てほしいという連絡がありました。「相談したいことがあるから」。指定された事務所に伺うと、「マーズ」のスタッフが勢ぞろいしています。何がはじまるのだろうと思っていると、重藤さんが言いました。「新しいプロジェクトとして、本を出版しようと思います。第一弾は道野さんの本です」。

 以前からそのようなお話は伺っていたのですが、本当になるとは思っていませんでした。でもその日から、「料理人という生き方」と題するぼくの本を出版する計画は始まりました。


 毎月3品の料理撮影をして、1年分で36カットにすること。カメラマンは、うちのマネージャーである原の友人の宮谷くんが引き受けてくれることになりました。それから、これまでホームページに書き続けてきたブログを年代順にピックアップして手直しをすること。新しい文章を書き足して、全体の時系列をまとめること。料理の解説と図解を書き起こすこと。編集者はいないから、重藤さんと頻繁にやりとりしながら、すこしづつ形にしていきました。ぼくが迷ったときの彼の答えはいつもこうでした。「道野さんの思うようにやってくれていいから」。でも、ぼくはいつも不安だった。「本当にこの本は売れるのか?」。

 費用はすべて彼の会社が負担してくださっています。本が売れなければ多大な損害を与えることになってしまう。第一、彼がぼくのためにそこまでの労力と財力を傾ける根拠なんてまるでないのです。だからある日、ご本人に尋ねました。「どうしてそこまでしてくれるんですか?」。重藤さんが応えます。

 「ぼくは今50代だけれど、やがて60代、70代になる。その時、やればまだできるんだ、という希望が欲しいんだよね」。


 何度かブログで書いたことですが、料理人のピークは45歳くらいではないかとぼくは思っています。体力、気力ともに一番充実しているのがその頃ではないか。ぼく自身もそうでした。でもぼくの場合、それからがたいへんでした。自分の人気が真の実力の故ではなく、多分に時代を反映させたものだったからでしょう。ぼくはそのピーク以降、流行から外れてしまった。それからの20年、なにをやっても、どれほど懸命に努力をしても、客足は戻らなかった。何度もやめようと思いました。もう自分の役割は終わったんだ、そう思えてならなかった。打ちひしがれては気持ちを立て直し、それでもまた打ちひしがれて。でも、ぼくはやめることができませんでした。どうしても、自分のやっていることがまちがいだとは思えなかったから。

 だから、重藤さんの言葉に自分の思いを重ねることができました。そして、2年の歳月を経て「料理人という生き方」は完成し、販売されることになりました。さすがにデザイン会社の手がけた本です。手にしたとき、ぼくはその美しさに感動しました。

 

 この本は幸いなことに、世に好評をもって受け入れられることになったのですが、そこには二人の方の尽力がありました。その一人目は、旧知の仲である大阪大学医学部教授、仲野徹先生です。発売と同時に、HONZ.Jpというwebの書評サイトで、過分に思えるほどの素晴らしい書評を掲載してくださいました。仲野先生はご自分の著書まで書評してしまうという自己肯定の権化のような人物ですが、その実力と才能は、「こわいもの知らずの病理学講義」を始め、出す本がすべからくベストセラーになるということで証明されています。実際は、ユーモアあふれる大阪のおっちゃんで、ぼくがこころから敬愛する人物です。

 そしてもう一人は、メンタリストDaiGoくんです。あるレストランで、ぼくがゲストシェフを仰せつかった時に偶然お客様として来られていたのですが、ぼくの料理を随分気に入ってくださって、それ以来親しくさせていただいています。その彼が「ニコニコチャンネル」という動画サイトで、ぼくの本を紹介してくださった。その夜、驚くべきことが起こりました。アマゾンのぼくの本の在庫が一瞬にしてゼロになったのです。そして、それからしばらくの間、アマゾンの自伝・伝記ランキングでぼくの本は1位となり、重版になることが決定しました。まさにミラクルボーイのおかげです。


 重藤さんより、重版分から本に帯を付けようという提案があったので、仲野先生とDaiGoくんに文章を書いていただきました。そして、「料理人という生き方」は、今でも少しづつ売れ続けています。


「人はなりたいものになれる」、そのことをまず我が身で証明しようと、ぼくは料理人になりました。そして、ぼくはシェフになり、自分の店を持ち、それを30年どうにかこうにか維持してきました。すでに当初の目的は達成することはできました。でも今、ぼくはこのままでは終われないと思っています。20年間苦しみぬいた成果を、もう一度世に問いたい。いくつになっても、まじめに努力を続ければ必ず報いられることを証明したい。それがだれかの勇気になるはずだと信じているから。

 実際、店の来客数は本が出て以来確実に増加しています。また、人間関係が思いもかけない良い方向に広がっています。それが一過性のもの、流行にすぎないのかどうかはわかりません。でも、重藤さんを始め、いろんな方が、もうすぐ65歳になるぼくにチャンスを与えてくださいました。ぼくはそれに応えたい。そして、新しい道を作りたいと思っています。


 お正月休みに、ゲイリー・オールドマン主演の「ウインストン・チャーチル」という映画を観ました。目前に迫るナチス・ドイツの猛攻に対して、降伏を進言する議員たちを相手に、徹底抗戦を呼びかけた一人の男の物語です。その映画の締めくくりに、チャーチル自身の言葉が映し出されて、それを読んだぼくはひとり納得しました。

 「成功も失敗も終りではない。肝心なのは続ける勇気だ」

 新年の営業が始まりました。道を作るために踏み出します。

 


# by chefmessage | 2019-01-08 21:43

料理人の日々

うちのお店ではディナーの電話予約をいただいたときに、「ご記念日を兼ねたお食事でしょうか」とお聞きするようにしています。そもそもフランス料理というものが日本では日常食ではなくて、晴れの日の食事という印象が強いため、お誕生日とか結婚記念日などのお祝い事のご利用が多いからです。だから前もってそのことがわかっていたなら、例えばデザートのお皿にメッセージを書いたり、お誕生日ならそれにロウソクも立てて、ぼくたちもいっしょにお祝いすることができます。



 ある日のこと、電話の声から察するに、やや年配の男性からディナーの予約が入りました。例によってお聞きすると、「特別なことは必要ない」とおっしゃる。「それではお待ちしております」とマネージャーは電話を切りました。しばらくして、また同じ男性から電話がかかってきました。「一緒に食事に行く人が誕生日なので、やっぱりデザートのプレートにお祝いのメッセージと、その人の名前を書いてやってください」とのこと。そして、その日がやってきました。



 想像していたよりもご年配のご夫婦でした。静かに食事を楽しんでおられます。ときどきお話をされておられますが、料理は一定のスピードで淡々と進行していきます。やがて魚料理になったのですが、そこで速度がゆるやかになった。



 うちのお店のディナーはコースのみです。全体的な分量は経験に基づいて計算していますが、食事の量には個人差があります。少ないというご意見はあまり聞かないのですが、人によっては多い場合もあります。だからマネージャーに「メイン料理の量は少なくしましょうか?」と聞いてもらうことにしました。すると、女性の方だけ少なくしてほしいとのこと。調節してお出ししました。



 デザートの前に客席に出て「量はいかがでしたか?大丈夫でしたか」とその女性にお聞きすると、「ちょうどよかった」とおっしゃっていただけたので一安心、一つ目のデザートが運ばれます。次にメインのデザート、お皿にお誕生日のメッセージとお名前が書かれているのを確認して、ロウソクを灯し、その方の前にそっと置いて、「お誕生日おめでとうございます」と声をかけました。



 びっくりしたご様子で、目を見開いておられます。それから、ご主人の方に視線を移された。ご主人は一つうなずいて、無言で微笑んでおられます。すると、奥様のお顔に笑顔が広がりました。それまでの、ちょっと物憂げな表情とはまるで別人になったかのような良い笑顔。



 食事が終わり、「お帰りです」というマネージャーの声に促されて、再び客席にでました。お二人が帰り支度をされています。奥様は足が不自由なご様子で、差し出されたご主人の腕に手を回してゆっくりと歩いてこられます。「よいお誕生日になりましたね」と声をかけました。すると奥様は立ち止まり、ぼくに右手を差し出されました。最初、何のことかわからなかった。でも、思わず握手をすると、奥様の握る力が強くなった。ぎゅっ、という感じではなくて、ふんわりと。温かい気持ちが流れ込んでくるようでした。



 ぼくたちの仕事はほんとに小さなものです。自分はもっと大きな仕事ができたのではないか、職業の選択を誤ったのではないか、いつもこころのどこかで、ぼくはそんなことを考えていました。若いころは有名になりたかったし、お金持ちにもなりたかった。でも、今のぼくは、これでいいのだと思っています。



 今日できることを悔いなくやりきること。そのことで、少しでも人を元気にすること。そんなことの繰り返しの中でぼくは、生きるということがどういうことなのかを学んできたように思います。



 これが世界の片隅の、ちっぽけな「料理人の日々」です。そしてぼくは、ずっと料理人でいようと思っています。


# by chefmessage | 2018-10-30 19:06

 京都の川端丸太町に「ラニオン」というレストランがあります。宮野多門くんと奥さんの恭子さんがふたりで営んでいる小さなビストロです。

 この宮野くんとは不思議な縁があるようで、彼が若いころに修業した数件のお店はすべてぼくが紹介しました。「誰かいませんかねぇ」というシェフやオーナーから依頼があるときにタイミング良く「どこか人を探しているお店はありませんか?」と彼がやってくる、「では宮野、行ってみるか?」、そういうことが数年おきに何回か続きました。だから彼とはいまだに親交があります。寡黙な職人肌の男で、それを奥さんがしっかりと支えている、いかにも町のレストランといった風情で、ぼくは彼のお店がとても好きです。料理は正統派のフランス料理で、派手さはないけれどもしみじみと美味しく、シェフの人柄がよく表れている。デザートはともに調理師学校で学んだ奥さんが作っていて、サーヴィスも彼女がこなす、家庭的な落ち着いたお店です。


 話は変わりますが、その「ラニオン」とは全く対照的なお店のシェフの対談を先日聴きにいきました。大阪のミシュラン三ツ星店。お相手は、かつてそのお店で務めた経験を持つ一つ星のレストランのシェフ。けっこう辺鄙な場所で、スタートも午後の11時というのに、会場は若手の業界人でいっぱいでした。

 メインゲストのシェフはおしゃれです。いかにも高価そうな腕時計とアクセサリー。そういえば会場になったお店の駐車場に眩いスポーツカーがあったけれども、多分それもそのシェフのものなのでしょう。

 司会者が「レストランをやろうと思ったときの目的はなんでしたか?」と質問すると、「ミシュランの三ツ星をとることですね」と間髪入れずに即答。実はその時点で、ぼくは自分がアウェイだな、と思ったのです。

対談ということなのですが、ほとんどの時間は三ツ星シェフの独壇場です。成功談に交えて苦労話も挿入されます。それでなくとも狭い会場に人がぎっしりいるもんだから蒸し暑いのに、高揚感と熱気が満ちています。みんなが食い入るようにゲストの姿を見ている。ときに趣旨のよくわからない質問があるのだけれども、それにもゲストは熱心に答えている。ぼくのとなりの女性はずっとメモをとっています。この雰囲気、なにかに似ているなぁ。ひとりしらけているぼくは考えます。そして、答えを見つけてつぶやきます。「レストランビジネスってマルチ商法か?」。

 ミシュランの三ツ星をとること、それはまぎれもない成功でしょう。それにともなって来客数は爆発的に増えるだろうし、世界中から様々なオファーがくるようになる。必然的に売り上げは増し利益がでるようになります。それは、とてもいいことだと思います。それでなくとも店の規模とは関係なしに、あれもこれもとやりたいこと、やらなければならないことが常にあるような職種です。それをどんどんかなえることができる。しかし、それが究極の目的だとはぼくには思えない。それだけがレストランの成功例だとも思えない。それはごくまれな一例であって、決してすべてではない。


 「ラニオン」はどうでしょうか。

 ミシュランの調査の対象にはなりにくいような気がします。食べログの点数というのもどうなんでしょうか。それでも経営が順調ならかまわないのですが、彼らの暮らしぶりはいたって質素です。それなら、彼らは敗者なのか?


 「ラニオン」にオープン当初からずっと来られているお客様がいます。70歳をいくつか超えられた紳士で、ワインについてもお詳しいから、宮野夫妻はそのお客様とお話しするのが毎回楽しみなんだそうです。そのお客様の言葉が朝日新聞の「天声人語」に取り上げられていました。

   「多くの人が石ころだと思って見向きもしなかったものを拾い、10年、20年かけて磨き上げ、ダイヤモンドにする」。


 「ラニオン」は石ころではありません。でも、「ラニオン」の素晴らしさを発見して通い、宮野夫妻にとっては育ての親とも言える役割をその方がしてこられたとするなら、上述の言葉は双方の関係にもあてはまるのではないかと、ぼくは思います。

 これは、レストランとしての素晴らしい、そして幸せな成功例のひとつといってもよいのではないでしょうか。

 その紳士とは、今回のノーベル医学・生理学賞を受賞された本庶佑先生です。


 「ノーベル賞を取るための研究はない。研究の成果に与えられることがあるだけだ」。

ある受賞者の言葉です。


 本庶先生は、いろんなことが一段落したら、また「ラニオン」に行かれるのでしょう。そして宮野くんからお祝いのシャンパンをふるまわれることでしょう。そんな光景が目に浮かんで、ぼくもとても幸せな気分になります。そして、こころでこうつぶやきます。「宮野、キミは星ではない、ダイヤモンドだ」。


# by chefmessage | 2018-10-04 18:38

祈り

 桐野夏生の小説「OUT」の中で、弁当屋のパート勤めをしている主人公の主婦が、自宅で風呂場のタイルの目地を磨き立てるシーンがあります。休みの日にそれをすることで気持ちが落ち着く、そんな内容でした。ぼくも、それと同じようなことをしたことがあります。10年くらい前のことでしょうか。

 多分その夜はノーゲストだったのだと思います。といっても、そのころはそういうことが多くて、一生懸命やっているつもりなんだけれども、何をやってもお客様がこない。何か取材でもあれば好転するのではないかと思っても、そんなものは都合よくきません。編集の人に問い合わせても、「ミチノさんには新しい切り口がないから難しい」という返事ばかり。かといって、いまさら違う仕事に就くこともできないし、でも家族がいるし。

 フランス料理の世界にも、実は流行り廃りがあります。それはけっこう目まぐるしい。運よく昇り詰めることができても、その地位は盤石ではありません。とくに急激に上昇すると、滑り落ちるのも早いような気がします。でも、そこで人生が終わるわけではありません。むしろそこからが長い。流行というのは恐ろしいものです。華やかな時代が過ぎてしまうと、後は何をやっても、どんな優れた仕事をしても見向きもされなくなります。過去の栄華にすがるといったものではありません。むしろ、人並みですらなくなったような気持になります。その状態が延々と続きます。

 でも、ぼくはあきらめたくなかったのです。自分の時代は終わった、もう役目はすんだのだと思い込もうとしても、自分の存在意義を失いたくなかった。祈るような気持ちで毎日を耐えていた。そんな夜。

 お風呂に入っていて、ふと足元をみるとタイルの目地に黒いところがありました。だから、ブラシで磨き始めました。裸のまんまでごしごし、端から端まで。何かしなければ自分が保てなかったのでしょう。それは、他人からすればずいぶんと奇異に見えただろうと思います。全面やり終えてシャワーで洗い流して、風呂から出たぼくは、すこし気分が楽になった。

 桐野夏生さんの描写は、だからすぐに理解ができました。どこにも持って行きようのない哀しみ、そういうものを誰もが抱えているのではないか。

 あれから10年、ぼくは今でも店をやって、料理を作っています。耐えながら、少しづつ前にでてきたのかもしれません。見捨てることなく支え続けてくれたマダム、従業員、そしてお客様のおかげもあります。でも、ぼくはまだ納得していません。ぼくはもう一度世の中に認めてもらいたいと思っています。流行り廃りなどに左右されない、一つのことをやり続けて悔いのない人生を人は送れるということを。

 懇意にしていただいている玉川奈々福さんという浪曲師がいます。彼女の折々の言葉にぼくはずいぶん薫陶を受けたのですが、なかでもこの言葉が胸に響きました。「手を抜くということを私は知らない」。「目の前に一人でもお客様がいれば、わたしは全力でその人を楽しませようとするから」。

 

 ぼくの店にはミシュランの星はありません。多分、人が気にする食べログの点数なんて大したことないだろうし、アジアのベストレストランのランキングとかにはまるで縁はないでしょう。それは仕方のないことです。ぼくはそういうもののために、どんな努力もしたことがないし、これからもしようとは思っていません。そんな流行り廃りの世界に、もうこの身を置きたくないから。ぼくはひたすら、来てくださったお客様のために料理を作ってきました。それも、自分が納得し、自信を持ってこれがぼくの料理です、と言えるものを作ってきたし、これからも、そうありたいと思っています。例え数少ないお客様であっても、ぼくは全身で朗々と歌うばかりです。

 そしてこの年齢になって、ぼくは自分の料理が、今までにないほど完成度を高めていると感じています。まるで呼吸をするようにぼくは考え、作っている。ただ残念なことに、年齢的な肉体の衰えは隠せません。それでも、最後まで全力疾走、それがぼくの願いであり、そして祈りです。


# by chefmessage | 2018-04-21 18:37

親父の背中

 今でも不思議に思うのですが、けっして身体が丈夫ではないうちのマダムは、なぜか出産に関しては三人とも超安産でした。中でも印象に残っているのは、二人目の長女のときです。

 長男が初産だったのですが、それが短時間で済んだので、産婦人科医から「次はもっと早くなるから」と言われて、二人目を身ごもってからは常に気にかけていました。だから、産気づいたマダムをすぐに同じ病院に車で連れて行ったのですが、到着すると、夜も遅かったので看護師さんしかいません。とにかくマダムを分娩室に運び込み、前回同様立ち合い出産ということで着替えようとしていると、看護師さんが、そんなにあわてなくてもすぐには生まれませんよ、とぼくに言います。いや、前回先生に早くなると言われたからと抗弁すると、まあ、そこで座っといてください、一旦、自宅に帰ってもらうかもしれませんからと、軽くいなされました。大丈夫かな、と心配していると、案の定、看護師さんがすぐに顔をのぞかせて、「ご主人、すぐに着替えて中に入ってください」とぼくに声をかけました。あわてて用意をして分娩室に入っていくと、看護師さんが手を洗ってくださいと言います。手を洗ったらこっちに来てください。「赤ちゃんが出てきそうやからグッと押さえててくれる、助産婦さん呼んでくるから」。そして二人っきりになった分娩室で、思わず言葉がもれました。「なんでオレ、こんなことせなあかんねん」。笑っていると助産婦さん登場。それから45分で、元気な女の子が産声をあげました。ちょっとぐったりしていましたが、横たわったマダムはぼくに向かって、あろうことかVサイン。そして言いました。「楽勝だぁ」。先生をはじめ、その場にいる全員が大笑いした一夜でした。

 その子が19歳になりました。子供のころから勉強が大嫌いで、塾に行かせれば逃亡する、家でマダムが勉強させようとすれば泣く。とにかく、何かをさせようとしても嫌がるので、彼女が中学生になったときにマダムが宣言しました。あの子は生まれるときから生命力が強かった、だから信じて好きにさせる、もう何も言わない。

 高校生になってからは熱心にバイトに励んでいました。私はお小遣いもお年玉もいらない、そう言って平然としていました。そして、そのバイトで貯めたお金と奨学金で、彼女は今、専門学校に通っています。

 この頃は夜に、リビングの大テーブルで勉強している姿をよく見ます。ぼくたちが住んでいる家は古い一軒家なので、リビングが一番温かいからです。初めてその姿を見た次の日、ぼくとマダムは顔を見合わせて言いました。「あの子、勉強してたよな」。

 ぼくは帰宅するとまず食事をするのですが、そのとき勉強している彼女にこうお伺いをたてます。「横でご飯食べていいですか」。

 クリスマスには、店の皿洗いに来てくれました。23日と24日の二日間、実に根気よく仕事をしてくれました。手が空くと、ぼくたちが料理している姿をじっと見ている。これは気のせいかもしれませんが、それ以来、ちょっとだけぼくを尊敬してくれるようになったみたいです。

 今年のお正月のことです。その日は恒例の、家族で実家に行ってぼくの父と昼ご飯を食べる日。一人暮らしのぼくの父は、91歳で足が不自由ですがあいかわらず雄弁です。名古屋の大学に通っている長男も帰省して参加しているので、爺さんは上機嫌です。口の端っこにマヨネーズがついていてもかまわずしゃべりまくります。すると、長女がティッシュをとって、すっと近づいて、爺さんの口をやさしくぬぐいました。あれ、この子はこんなことが自然にできるんや、ぼくは驚きました。そして、ちょっと感動した。

 高校生のころは、家では、スマホをさわっているか寝ている姿しか見たことがなくて、本当にこの娘はどうなるんだろうかと、ぼくはイライラしたり心配したり。でも、マダムが好きにさせようというから、ぼくは黙って辛抱していました。でも、19歳になったこの頃の彼女のときおり見せる表情が、思慮深い一人の女性に見えるときがあります。そして、本当はこの子はいつも、両親や兄弟をやさしい気持ちで見ていたのだと思う。自分なりに、大切にしようとしてくれていたのだということに、愚かな父親はやっと気づいています。

 だから、これからこの娘がどんな道を歩んでいくのかずっと見守りたい、そして、自分にできることがあれば全力でそれを成し遂げたいと思うけれども、命に限りがある以上、それはできない相談でしょう。では、ぼくにできることはなんだろうか。

 人は親の背中を見て育つ、と言います。それなら、ぼくはずっと見られても恥かしくない後ろ姿で居続けよう。そして、子供たちが勇気を必要としたときに、思い出して頑張ろうという気持ちになってくれる生き方を最後までしようと思います。

 でも、長女がある日、こんなことを言ったことがあります。「お父さん、無理しなくても大丈夫だよ。子供たちを信用していいから」。そのとき、ぼくはこう言いました。「そうじゃない。子供たちを信用しているから、オレは無理をするんだよ」。

 前に向かって進む親父の背中を、押し続けてくれるのは子供たちです。励まされているのはこっちやな、と親父はそっと苦笑いです。


# by chefmessage | 2018-03-02 20:37