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ミチノ・ル・トゥールビヨンシェフ道野 正のオフィシャルサイト


by chefmessage
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ハンバーグの重さ

  ハンバーグの重さ


 「ただし、あんたお腹減ってへんか?」。ぼくが帰宅すると、母は必ずそう声をかけました。子供時分だけでなく、大人になってからも。でもこれはぼくに限ったことではなくて、ぼくたち兄弟に対しては皆同じでした。とにかく、自分の子供がお腹を空かしているという状況が彼女にとっては一番気になる問題であったようです。だから、ぼくの実家にはいつでも食べ物が豊富にありました。冷蔵庫に隙間がない。

 後年、高校生の時に良く食事に来ていた友人がしみじみと言っていたことがあります。「ミチノの家でご飯食べさせてもらったら、毎回、びっくりするくらいたくさん料理が出てきたよな」。どうやら母は、人様の子供の空腹までもが我慢ならなかったようです。

 その血を受け継いだのか、ぼくのコース料理は昼も夜も量が多い。うちの店では、デザートは全てマダムが担当しているのですが、もっと量を少なくして欲しいとよく言われます。料理で満腹になったら、せっかくのデザートを楽しんでもらえない。そう言われた直後は気をつけるのですが、すぐに元の量に戻ってしまいます。これはもう性分としか言いようがないようです。


 話は変わりますが、うちの店では現在「蘇ボックス」というテイクアウトを販売しています。これが好評で、内容を定期的に変更して今は第三弾になっています。このことは前回のブログにも書いたのですが、今回のメインは「オリーヴ牛のハンバーグ」です。フランス料理では「ロシア風ビトック」と呼ばれている料理ですが、この分量については悩みました。というのも、第一弾も第二弾も一度に全部食べられないから、翌日にまで分けて食べるという方が多かったので、全体の流れを考えると大きくない方が良いのではないかと思えたからです。コース料理を箱詰めにする、というのがコンセプトなので、やっぱり一度に最後まで召し上がっていただきたい。

 そこで、1回目の仕込みでは一個を70グラムにしました。そして、いろんな方のところにモニターで送って意見を聞いてみました。

「ちょうど良い」「物足りない」「人による」。ぼくは余計に混乱しました。一体、誰の意見を聞けば良いのか。

 実は、そのような体験は初めてではありません。というか、そういった試行錯誤はぼくたちの仕事においては永遠の課題なのです。料理というものに正解はありません。全て主観で語られるのです。だから結局は、作る本人が納得するかしないかだけなのに、それでも人の意見が聞きたくなるんですね。

 2回目の仕込みで、ハンバーグの量は85グラムになりました。それでケリをつけたはずなのに、まだ気持ちが落ち着かない。その原因は「お子様コース」。

 毎回ご要望があったので、今回はお応えすることにしたのです。ポタージュ、ハンバーグと付け合わせの野菜、そしてガトーショコラのショートバージョン。子供が好きなハンバーグだから喜んでもらえるよね、ということだったのですが、それならお腹いっぱい食べさせたらなあかんやろ、という妙な親心が湧いてきて、子供用はさらに10グラムアップ!

 実は、値段設定は最初に70グラムで決めてしまって、それですでに販売しているのです。今更変更はできない。ああ毎度のことながら商売が下手なわたし、そう思ってクヨクヨしていたら、母の声が聞こえました。

 「ただし、あんたお腹減ってへんか?」。


 母は60代から認知症を発症しました。ゆっくりと、でも確実に彼女はぼくたちから離れていきました。ただ、時々ふらっと出かけては買い物をしていたようです。そして必ずレトルトのカレーを大量に購入してきた。老老介護の父が、「お母ちゃん、カレーばっかり買うてきたらあかんがな」となじると決まって、「子供の食べるもんがなかったらあかんと思うて」と答えたそうです。だから実家に家族と行くと、帰りのお土産はいつも大量の「ボンカレー」だった。

 親孝行したくても母には思いは届かないから、結局何もしないままぼくは母を見送りました。そのことを思うとぼくは自分が今でも情けないのだけれど。


 母ならきっとこう言うでしょう。「ただし、あんたごちゃごちゃ言いなさんな。男は細かいこと気にしたらあかん」。


 そやな、その通りや。オレはあんたの子供やからな。


 だからハンバーグの重さは、母への思いの分、増えました。


# by chefmessage | 2020-08-26 19:44

蘇ボックス 3

「蘇ボックス3

 本来、人を楽しませたり喜ばせたりするのが仕事だから、相手があって初めて成り立つのが料理人という職業だとぼくは思っています。だから、不測の事態が生じたときにパニックに陥って、真っ先に助けを求めるというのは順番が違うのではないか、という気持ちがありました。

 それよりも、なにかできることを探すことの方が大事なのではないか。まず自分の立ち位置を確かめて行動しようと考えたのです。そこで思いついたのが「蘇ボックス」でした。


 来てもらえないなら、お家をレストランにして貰えば良い。そのために必要なものを、コンパクトに、安全に、廉価で、望む人のところに届けよう。逆に、今でしかできないことをやってもらって、暗い気持ちを吹き飛ばしてもらおう。それを形にし実行して二ヶ月が経ち、「蘇ボックス」は内容を変えて「蘇ボックス2」になりました。それも二ヶ月、続きました。

 これで終わろうと思っていたんだけれど、注文が途切れない。必要とされている、それなら、もっとレベルの高いもの作ろうと思ったのです。


 「蘇ボックス」の成功はリピート率の高さです。それもプレゼントとしての利用が多い。こういう状況だから、会いたくても会えない人に思いを伝えるのには最適だと思われたのでしょう。年老いた両親に、遠く離れた息子や娘とその家族に、あるいは大切な友達や恋人に。お誕生日や結婚記念日のお祝いとして。だから、利用してくださった方からお礼のメールが予想以上にたくさん届きます。とても嬉しいし、それがぼくたちを勇気づけてくれる。

 蘇りは、ひとりではできないことに気がつきました。それなら、もっと気持ちを集めて大きな動きにしよう。


 実は、ほんとうにやりたかったのはこれだったのです。


 真面目なレストランには、志の高い生産者さんたちからの食材が集まっています。その人たちの気持ちは、なかなかお客様には伝わらない。もっと詳細な説明が必要だと思うのですが、実際の現場ではそのような時間がないし、アイテムもありません。だから、いつか「蘇ボックス」で、そんな生産者さんたちの食材を集めたメニューを作りたいと思っていました。それに現実問題として、生産者さんたちもこのコロナ禍で困っているのです。東京の一流店で圧倒的なシェアを誇る石川県能登島の「高農園」さんが、まったく注文が入らなくなって「頭が真っ白になった」と言ってたのを思い出します。


 「蘇ボックス」は完成品ではありません。箱から取り出してから冷やすものもあれば温める必要のあるものもあります。お皿に盛る手間もかかります。そのような工程があれば、料理の成り立ちに思いを馳せる時間もあることでしょう。その時に参考になるレジュメを同梱してあらかじめ読んでもらっていれば、その料理はもっと印象深いものになると思うのです。そして、それがまた誰か他の人への贈り物として利用されれば、思いは広がり、今よりも大きな流れになる。


 まず食材を集めました。野菜は千葉県柏市の「ヨシノ ハーブファーム」さんと「高農園」さんから。豚肉は鹿児島県鹿屋市「ふくどめ小牧場」さん、そして高松の「カワイ」さんにお願いして小豆島のオリーヴ牛を。

 吉野さんと高さんのことは以前ブログに書かせていただきました。「ふくどめ小牧場」の福留洋一さんは「カイノヤ」の塩澤くんに紹介してもらいました。ここのオリジナルの「幸福豚」は、三元豚とサドルバックの交雑種です。サドルバックは全身真っ黒だけれども背中から前足にかかる部分だけが白い豚で、日本で飼育しているのはここだけです。

 「幸福豚」の特徴は脂質の良さです。ソテーした時に出てくる脂が水みたいに透明で驚きました。それ以来、豚肉はここのものを使わせていただいています。

 オリーヴ牛は、小豆島の石井さんという方が始めた和牛です。元は讃岐牛ですが、なんとか神戸牛や但馬牛に負けないブランドに育てたいということで、小豆島特産のオリーヴを食べさせようと試みたのですが、牛は見向きもしない。せっかく貰ったオリーヴがいたむから、とにかく日保ちさせるために浜辺で乾燥させた。それを試しに飼料に混ぜたら食べてくれたんだと、ご本人からお聞きしました。その精肉をおそるおそる検査場に持って行ったら、検査官が血相変えて、「牛に何を食べさせたんだ」と言った。これはあかんと思って、二度とやりません、と答えたら、「いや、オレイン酸の量が多いからびっくりしたんだ。あれはいけるぞ」と告げられて、それからずっとオリーヴ牛だ、と。

 今回は、石井さんのところに案内してくれた「カワイ」の河合弘太郎さんにお願いして、オリーヴ牛のミンチを手配してもらいました。


 何回か試作をしました。そして「蘇ボックス 3」は、ひとまず出来上がりました。今回はご要望の多かった子供さんのコースもやりたいと思っていたので、メインはオリーヴ牛100%のビトック(ハンバーグ)です。脂っこくなくて食べやすい。ハンバーグソースも、市販品は流用せず、ケチャップから作ってみました。赤ワインを使いますが、加熱するのでアルコール分は蒸発しています。子供さんにも、とっておきのご馳走になるはずです。


 ひたむきな思いを集めて、それをより良い形にして送り、それがまた別の思いとともに広がってゆく。

 たとえ失うものが多かったとしても、残るものがあるなら。

今まで気がつかなかった大切なものを見つけることができたなら、人は前を向いて生きていけるのではないかと思います。

 そして、そのお手伝いができることをぼくは、少しだけ誇らしく感じています。

 


# by chefmessage | 2020-08-18 14:39

「明けない夜はない」

 お店をやっていて困ることは沢山ありますが、中でも機械類の突発的な故障には度々酷い目に遭わされます。うちの店は、前の方が8年やっておられた後に居抜きで入って11年経つので、引き継いでそのまま使っている設備はかなり老朽化しています。それに、ぼくが新しく設置したものでも11年経っているのです。だから、壊れ始めると順番に、まるで連鎖反応の様に修理や入れ替えが必要になりました。冷凍庫からはじまり、製氷機、台下冷蔵庫、4ドアの冷凍冷蔵庫、食器洗浄機、コンベクション付きのガス台。無いと仕事にならないので、順番に入れ替えました。まるで、機械購入の費用捻出のために働いているかの様な日々。そういえばホールの照明もLEDに交換しました。しかし、まだ大物が残っていたのです。それはエアコン。
 でも、これが夏に急に動かなくなるととんでもないことになります。だから、以前から入れ替える計画を立てていたのです。でも、コロナ禍!ホントはやめたかった。その費用を営業に回したかった。しかし、夏は来るのです。ええい、やってしまえ、ということで三連休を取って工事をすることになりました。その3日目の出来事。(長いまくらですみません)。

 うちの店で10年間マネージャーを務めてくれた原 光(ハラ ヒカル)が去年の末に退職したことは以前のブログでも書きましたが、その原が心機一転、飲食業から足を洗い、堅気になるべく勤めた一般企業を辞めた、というメールが届きました。それ以前より彼が、新しい就職先でいろいろ苦労をしていることは聞いていたので致し方のないことだと思ったのですが、タクシーの運転手になるため面接に行きます、という一文を目にしたときに、それは無いやろうという気持ちが沸き起こったのです。
 くれぐれも誤解していただきたく無いのですが、ぼくはタクシー運転手という職業に対してどうのこうの言っているわけでは決してありません。ただ、彼ほどのキャリアを持つサーヴィス人がもったいないと思ったのです。ぼくの知る限りでは、最も信頼できるサービスマンなのだから。もう一度、その現場に戻って、彼らしい、彼にしかできない仕事をしてほしいと痛切に思いました。 
 だから、何か彼のためにできることがないだろうかと考えたときに、一人の人物の顔が思い浮かびました。
 その人は、小金井市にある「TERAKOYA」というレストランの三代目オーナーシェフ、間 光男さん。この人とは、昨年の「世界料理学会in函館」で知り合いました。それまでまったく面識はなかったのですが、函館での最後の打ち上げで席が隣同士になり、意気投合して1時間ほど熱心に語り合いました。大きなレストランの三代目らしい上品さと知的好奇心、そして果敢な行動力が印象的な好漢でした。この人とは長い付き合いがしたいもんだと、ぼくはその時思ったのです。

 函館から戻った夕刻からぼくは店に出たのですが、最初にしたことは名刺の整理でした。ぼくは普段は名刺を持つ習慣がないのですが、出かける前にマネージャーの原から一箱持たされました。こんなにいるか?と聞いたら、絶対入ります、と彼が言うので渋々持っていったのですが、結局、いただいた名刺でその箱はいっぱいになりました。それをカウンターに置いて、名刺ホルダーに仕分けしてほしいと頼みました。すると原が、その名刺の山の一番上の一枚を指し示して、シェフはこの方と知り合いになったんですか?と聞きます。なんで?と言うと、彼が話し始めました。

 彼が高校三年生のときにアルバイトしたのがその店で、そこでサービスの仕事のおもしろさに目覚めて専門学校に進むことになったと言うのです。専門学校にいる間もそのお店でバイトをして、ずいぶん可愛がってもらったんだと、懐かしそうに語りました。
 その話しを聞いた時には、既に原の就職先は決まっていたので、彼のサービスマンとしてのキャリアの最初と最後の店のシェフ同士が偶然知り合いになるなんて、不思議な縁もあるもんだなあと感心しました。だから翌日、間さんにお電話して「実は話してほしい男がいるんだ」と原と電話を代わりました。二人は楽しそうに話していました。そして、二人が共に相手に対して好印象を抱き続けていることがわかって、ぼくもとても嬉しい気持ちになりました。
 だから、ぼくは間さんに協力を仰ごうと、とっさに思いついたのです。

 間さんにメールをしました。そして、お互いに現況を報告し合い、励まし合いました。その後、原の事をお願いしました。できれば連絡をとって欲しいと、原の電話番号を添えて。頑張ってみます、そういう応えが返ってきました。それが今日の午前中のことです。

 同じ日の午後、今度は間さんから電話がかかってきました。「道野シェフ、今ぼくの前に光がいます」それが第一声でした。今度はぼくが驚かされる番でした。そして「決めました」と言うので「何が?」と問い返すと、「うちの吉祥寺の店を彼に任せます」との答え。スピーカーフォンにしていいですか、と言うのでいいよと返すと、原の懐かしい声。「シェフ、すみません」。そして「頑張ります」。
 嬉しくて、ちょっと泣けました。

 もっとよくしてやればよかったと思っていたのです。何もしてやれなかったと内心忸怩たる思いだったのです。本当に良かったと思いました。間さんのところなら、安心して彼を任せられます。原も挫折を跳ね返す勢いで頑張ることでしょう。

 飲食業はブラックだとよく言われます。ましてやこのコロナ禍で、暗闇に近い印象です。けれども、射す光もあるのです。
 あの時、偶然一番上にあった一枚の名刺から新しい人間関係が生まれました。縦に糸を張り巡らしていると、それはいつか横の糸を紡ぎ、やがて一枚の布を織りあげるのでしょう。でもそれは、正しい人間関係を築き上げてきた結果ではないかと思うのです。
 だから、困難な時にこそ人を大切にしたいと思います。人の心の底に流れる優しさを見失わない様にしたい。

 そういえば「TERAKOYA」さんがFBに投稿していた写真を思い出しました。従業員の皆さんが交代で一枚のプラカードを持っている連作。そこにはシェイクスピアの有名な言葉が書かれていました。
 「明けない夜はない」。
 みんな、頑張ろうな。
 

 

# by chefmessage | 2020-05-27 19:30