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ミチノ・ル・トゥールビヨンシェフ道野 正のオフィシャルサイト


by chefmessage
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逝く春に

数日前の新聞に、被災地の一人の少女がローマ法王にあてて手紙を送った、という記事が掲載されていました。不確かな記憶で申し訳ないのですが、「なぜ神様は津波で私の友達を連れ去るようなことをなさったのですか。」と質問する内容だったと思います。それに対してローマ法王からこのような返事があったとその記事には書かれていました。「ずっと考えているのですがわかりません。でも、わたしたちがいつもあなたとともにいることを忘れないでください。」
 全世界のカトリック教会の頂点にいる人がなんと素直に心情を吐露するのだろうかと、ぼくは驚きました。でも、今回の大震災は、彼をしてそう答えざるを得なかったほど不条理なことであった、ということなのでしょう。
 被災地で、せめて聞き役になろうと出かけていったある牧師が、かたくなに口を閉ざす人たちを前に、宗教の無力を痛感させられた、と語っている記事もありました。確かに、自然が神様、あるいは宗教と密接に結びついていることを考えると、今回の出来事は、神の行為と考えるにはあまりに理不尽すぎるように思えます。でも、そのような理不尽はぼくたちの周囲で、規模の大小に関わらず起こりうることではないでしょうか。
 長年ぼくの店の常連客として通ってくださっていたKさんの死も、ぼくにとっては不条理を感じさせる出来事でした。寝耳に水、とはこのことでしょうか。あまりに突然のことだったから、悲しみよりも驚きの方が先立って、実際、今でも信じがたい気持ちです。
 初めて来られたとき、ぼくは、Kさんがいわゆるリピーターにはなってくださらないだろうと思いました。いたってクールというか無表情で、正直、あまり楽しそうにはみえなかった。決して手抜きをしたわけではないけれど、だからといってすべての人に受け入れていただけるような種類のレストランではないことをぼくは自覚しているので。でも、ぼくの第一印象に反して、それからはことあるごとにぼくの店を訪れてくださるようになりました。一人息子のMくんのお誕生日は、毎年の恒例行事にもなりました。
 これは同業者間の共通の意見なのですが、最初に大いに喜んで、すばらしいと持ち上げ、次はみんな連れてくるから、と仰るお客様に限ってそれっきりになることが多い。でも、最初は不機嫌そうなお客様が意外とリピーターになってくださることって意外とあるものなのです。Kさんお場合もそうでした。
 奥様と息子さんの希望を優先しておられるのだ思っていたら、ある日、奥様がこう仰いました。「ちがうのよ。いつもパパがミチノ君のところに行こうって言うのよ。」
 そう言えば、お帰りの際ご挨拶にでると、いつもクールなKさんがそのときにはニヤっと笑顔で、「頑張りや」と必ず仰ってくださいました。ポンと肩を叩くその感触はいつも柔らかだった。
 高校生だったMくんが大学に行き、その後アメリカへ渡り、帰国し、社長になってかわいいお嫁さんももらって、でも、お誕生日はいつもぼくの店で、それはこれからもずっと続くと思っていたのですが。年齢もぼくより5歳上だけなのに。
 なにがぼくたちを分け隔てするのか。なぜ、逝くものと残るものとがあるのか。
神様は答えてくれません。でも、それはそうなのです。理解できないから神様なのです。人智を超える、ということはそういうことなのですから。
 ならば残されたものはどうすればいいのか。できることは多分、問い続けること、それだけでしょう。これでいいのでしょうか、ぼくは間違っていませんか、努力は足りていますか、それとも、まだ足りませんか。
 疲れたとき、肩にポンと手を置かれたように感じます。「頑張りや」その声に励まされてぼくは進もうと思います。
 
# by chefmessage | 2011-05-11 18:44

受けてたつということ

数日前のことです。仕事を終えて帰宅し、寝ている家族を起こさないように用意された食事を温め直し、夕刊を読みながらそれを食べていると玄関のインターフォンがピンポンと鳴りました。なんだか遠慮しがちに、でも深夜に驚かせるには十分な音量です。壁の時計を見ると12時過ぎ。誰が何の用事で?けっこう嫌な感じです。でも、出ないわけにはいかないのでおそるおそる受話器を取って「はい?」とたずねると、「あたし」という答え。うちの下の娘、臨(のぞみ)の声です。いぶかりながら戸を開けると、パジャマ姿で、お気に入りのパンダのぬいぐるみを抱えて立っていました。「どうしたん?」「寝られへんねん。」
 いったいこの子はどこで寝ようとしていたのか。本人に聞いてみると、となりのおうちに泊まりに行っていたらしい。
 我が家のお隣さんには、うちの娘の仲の良い友達がいます。もう一人の仲良しと以前から泊まりにいこうと約束していたそうです。でも、どうしても寝れなくて帰ってきたんだと。
 この娘は小学校5年生です。なのに、いまだに母親がいないと眠れません。子供たちだけで家内の実家に行っても、毎晩ホームシックになって義母や義父を困らせます。今回は仲良しのお友達が集まっているし、お隣のことだから大丈夫、と思って、でも、お気に入りのぬいぐるみと慣れた毛布まで持参して万全の態勢で臨んだようですが、やっぱりだめだったようです。
 帰宅した彼女は、母親の眠る二階にまっすぐ上がっていきました。眠れない、とまた降りてくるのかな、と思っていたら、そのままだったので安眠できたのでしょう。翌朝、家内に聞いてみると、朝まで母親の手を握っていたそうです。
 ほかの子供たち、長男と長女はすくすく育って、中学3年の長男は、もう少しでぼくより背が高くなりそうです。でも、甘えん坊の次女は元気いっぱいなんだけれど、あまり背が伸びません。食い意地は兄弟姉妹で一番なのですが。
 この娘はぼくが47歳のときに生まれました。だから、ぼくはまだまだ働かねばなりません。家内に言わせると、ぼくは70歳まで仕事を続けないといけないそうです。できるかなあ。
 たまに専門料理という雑誌なんか見ると、第一線のシェフたちはみんなまだ三十代で、やってる料理も斬新で、気後れしてしまいます。自分の才能と体力の限界を知らされている人間が立ち向かえるとは思えない。若いものには負けへんで、と強がってみたところで勝負の趨勢は見えているような気がします。
 でも、ぼくには今、守らねばならない家族がいます。だから、後には引けません。それは家族のために自分を犠牲にするということではありません。むしろ、家族の存在がぼくを支えてくれている、ということだと思います。だから、今のぼくは手強いはずです。ぼくの料理は斬新さはないかもしれないけれど、こころに響くほどおいしいだろうと思います。そして、それを70歳まで続けてみたいとこころから思います
 次女がパンダのぬいぐるみを抱いて佇んでいた夜更けの玄関先、彼女の足元にはどこからか運ばれてきた桜の花びらが風に舞っていました。その光景が今、こころにくっきり転写されています。それを見てぼくはこう思います。どんなに辛くても、おれの運命は受けてたってやる。
 今年の桜は忘れられない桜になって散ろうとしています。でも、来年もきっと桜は咲くでしょう。そのこと忘れない限り、ぼくたちは頑張れるような気がします。 
 
 
# by chefmessage | 2011-04-17 17:47
 この頃、お客様をお見送りする時のぼくのお辞儀の角度が、これまでより15度くらい低くなりました。というのも、ほとんどの方がお帰りの際に、例の小菓子を買ってくださるからです。そのことが料理をほめられること以上にうれしく感じられるので、お辞儀の角度がマイナス15度になるのです。ぼく達は、料理やお菓子を作ることしかできないから、そのことで力になりたいと思います。
 マネージャーの原が今朝、こんな話をしてくれました。知り合いの美容室に行くと、月曜日がお休みの店なのにスタッフ全員が出勤して仕事をしていた。その日は義援金の日で、カットを2,000円にして、売り上げを全部寄付するのだということ。いい話だなあ、と思いました。
 でも、こんな話も聞きました。うちで5年間働いて、その後、東京のフランス料理店で仕事をしている子がいるのですが、その彼が電話で言うには、東京では予約のキャンセルが相次ぎ、どこのお店も閑古鳥が鳴いてます、オーナー達はみんな、これが続けば店が潰れると頭を抱え込んでいます、ということでした。これは他人事ではありません。実際うちの店でもそういうキャンセルが出ているし、予約の数もがっくりと減少しています。でも、それでいいのでしょうか。
東京は現在、交代停電とかがあるし、交通機関のダイヤも乱れている様子なので、ある程度やむを得ないところもあるかもしれません。余震も完全には収まっていないようだし。でも、関西は幸いにしてそのようなことはありません。だから、「今この状況ではそのような気分になれない。」とか、「被災地の方々に申し訳なくて。」というような予約キャンセルの言葉に根拠があるのかどうか、ぼくには判断できかねます。心情的には共鳴する部分もありますが、ちょっと懐疑的です。
 阪神大震災のとき、いかにも被災者です、というお客様が何組か食事にこられました。ぼくは正直、不思議でした。だからある方に失礼は承知のうえでこう尋ねました。「うちに食事にこられてよかったのですか。今、大変なんじゃないんですか?」。その方は仰いました。「大変だから、無理して来たんです。こういう世界を見失ったらぼく達はどこに向かっていったらよいのか判らなくなってしまいます」。 そういう人たちは、まだ余裕があったんだ、そう思われるかもしれません。でも、その言葉でぼくも救われたような気がしました。その方があの日以来始めて、福島の店に来られました。「ミチノさん、あのときはありがとう。」その言葉を聞いて、ぼくはとてもうれしかった。

 全体に沈鬱なムードが蔓延し、経済が滞留して更に縮小すれば、手助けしようにも力不足になってしまうような気がします。むしろ弱っていない部分が強くならなければ、全体的な修復は不可能なのではないでしょうか。
 だから、浮き足立たず、いままで以上に地に足をつけて、自分達の仕事に励もう、ぼくはそう思っています。そういう変わらぬ日常の生活のなかで、でも、被災地のことを片時も忘れず、自分達にできる精一杯のことをしようと思います。それぞれが身の丈にあった援助を心がければ、いつか復興の日がくるのではないか。悲しみや痛みは消えないでしょうが、喜びもまたやってくる、そう思いたい。
 うちで働いていた北川くんがやってるビストロ、ラ・ブリーズ(新福島)では、マカロンを販売してその売り上げを全額義援金にするそうです。うちのお店と同じ筋にあるイタリアン、ラ・ルッチョラもなにか始めたいと言っています。みんな客数の減少に悩み苦しみながらも、被災地の方々の力になりたいとこころから願っているのです。
 ぼくはこの頃、この国ってけっこういい国なんじゃないだろうかと思い始めています。だから今日も、ぼくのお辞儀はマイナス15度です。
 
復興支援に向け、サクラのメレンゲ増産中
今、ぼく達にできること その2_d0163718_1242785.jpg


 
 
 
# by chefmessage | 2011-03-17 22:02