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ミチノ・ル・トゥールビヨンシェフ道野 正のオフィシャルサイト


by chefmessage
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思いやりについて

   思いやりについて

 朝、出勤すると、端のテーブルにハッピーバースデーのメッセージが書かれたプレートが置いてあります。なんだか人目に触れないような位置に置かれている気がしたのでマネージャーに聞いてみました。「今日、お誕生日の予約って入ってた?」。「いいえ」と彼女が答えるので重ねて尋ねました。「だったら、これは何?」、「今日は若いスタッフのお誕生日です。」。


 うちの店では、お誕生日のスタッフにケーキを作って全員で食べる習慣があります。多分、最初はマダムが始めたのだと思うのですが、その後は、若いスタッフの練習も兼ねてマダムが指導するようになり、マダムが旅に出た後は、スーシェフがその役を引き継いでいます。この4月に入社した若者のことは前に書きましたが、その彼は4月が誕生日だったから、いきなりのバースデーケーキに感動していたようです。それを作ったのは彼の一年先輩のスタッフですが、今日はその先輩の誕生日。新人には荷が重いので、今回はスーシェフ作です。そしてそのケーキは、一年余をうちの店で過ごした彼への最後のケーキです。本人の希望により、この6月で彼は退社します。


 シェフにとって嫌な瞬間というのは実に多くあるのですが、その一つが、全員帰ったはずの店になぜかスタッフが一人残っている時です。そのスタッフは必ずこう言います。「シェフ、ちょっとお話があるんですが」。その内容は聞かなくても察しがつきます。だから一応はその訳を聞きますが、ぼくの答えはいつも同じです。「わかりました、で、いつ辞めたいの?」。


 彼はぼくに言いました。「長時間働くほど学びたい仕事ではありません」。ぼくにしてみれば許し難いほどの発言なのですが、それで怒っていたのでは昨今のシェフは務まりません。では、どんな仕事なら学びたいの?と尋ねると、これからいろんな仕事をしてそれを探します、と言います。

 そんな話をあるベテランシェフにすると、なぜ引き止めてやらないのか、と叱られました。でも、ぼくは引き止めようとは思っていません。料理人という仕事は、やりたい人だけがやればいいと常日頃から考えているからです。言い換えれば、好きでないと続く仕事ではない。美味しいものを作って人を喜ばせることのできる人間になりたい、そんな願いがないのなら、この仕事に就くべきではないとぼくは思っています。そこに意味はありません。ただ意志があるかどうかだけなのです。


 今日彼が、彼のためにスーシェフが作ってくれたバースデーケーキを食べて何を思うのか、ぼくにはわかりません。でも嬉しかったなら、ちょっと考えてほしい。その嬉しさはどこから来るのか。そしてそれは、どうやって生まれてきたのか。


 いつか答えを見つけて欲しいと思います。そしてその答えを、ずっと忘れずにいてくれたら、ぼくたちの仕事も無駄ではないとぼくたちは思うことができます。いい人生を送れよ、ずっと同じ仕事を飽きもせず続けてきた老シェフの願いです。


# by chefmessage | 2022-06-02 13:18

新人の夢

  新人の夢 その1

 4月から新人が厨房に来ました。石川県の、調理科のある高校の卒業生です。同じ時期にマダムがスーパーカブにキャンプ道具を満載して日本一周に出かけるので、その穴埋めが必要だと考えて採用することにしました。

 初めての大阪で心細いかと思ったのですが、高校の時も実家を離れて寮で暮らしていたからかそれほど寂しくもない様子で、今のところは遅刻もなく毎日真面目に働いています。


 高校で調理科を専攻していたと言っても、調理師学校ではないので、できることは多くありません。聞いてみると、履修は和食が主だったようで、洋食、ましてやフランス料理に関しては、ほぼ何も知らない様子です。それなのになぜうちの店に応募してきたのかわからなかったので尋ねてみると、ぼくの「料理人という生き方」を読んで、どうしても働きたかったのだと言います。とにかく、彼の料理人修業が始まりました。


 うちの店では、「これはまだ早い」という言葉はありません。できないのはさせないからだとぼくは考えているので、とにかくなんでもやってもらいます。もちろん洗い物や掃除は当然の役割ですが、野菜の下拵えから魚の三枚おろし、料理の盛り付け、パンを焼く。そして賄い作りまでやらないといけないから大変です。でも本当はどれもできるはずがないのです。だから失敗の連続で、経済的損失は甚大です。せっかく仕入れた魚が見るも無惨な姿になると、授業料もらいたいと真剣に思います。美味しくない賄いを毎日食べるのも苦痛以外の何者でもありません。でも、そのうち上手になるのです。それを信じるしかないのです。


 と、ここまで書くと、なんと教育熱心なシェフなんだろうと思われるかも知れません。でも、それはちょっと違います。ぼくは早く役に立つ人材になって欲しいだけです。そうすれば、ぼくや他のスタッフがもっと前に進めるからです。余裕ができれば新しいことを考え、それを試すことができます。料理人だけではないと思うのですが、技術系の仕事に必須なのは常に考えることと試すことです。それをやめることは歩みを止めることです。歩みを止めれば、ぼくたちに明日はありません。

 例えばお客さまに、「この店はいつ来ても美味しい」と言ってもらったとします。それはいつも同じということではありません。少しづつでも腕を上げているから、そう思っていただけるのです。

 記憶は蓄積ではなく、常に再構築されるのだそうです。それなら、毎回強度を上げないと弱体化して忘れ去られます。人の脳は常に新陳代謝しているのだから。繰り返し再構築されるだけのインパクトを保持することが大切で、そのためには常に更新するしかありません。だから、新人の育成はぼくたちの未来になる。そのためには、たとえ活きの良い魚がボロボロになっても。でも、やっぱり辛いことに変わりはありませんが。


 ただ、今の調理場にはぼくたちの修業時代には考えられなかったような便利ツールがあります。スマホ、です。厨房でスマホは禁止、という店もありますが、うちではそのようなことはありません。わからないことがあれば、すぐにそれで調べてもらいます。これは時間短縮にとても有効です。ただし、情報過多にもなります。それからがぼくの出番です。どれが正しいのか、なぜ違う情報があるのか、それを解き明かすことができるからです。そうすることで、より深い知識を得ることができます。ぼくはそれが修業の本質だと思っています。

 修業とは、ある意味、ぼくに近づくことです。極論するなら、ぼくになろうとすることです。仕事の上で、ぼくと同じ価値観を持つこと。でも、次の職場に行ったら、その店のシェフはぼくとはまるで違うことを言うかも知れません。それでも、そこではそれに従わなければなりません。つまり、二つの違う価値観に触れることが大事なのです。やがて、自分が全てに責任を負わなければならない時が来たら、そのときに考えるのです。なぜ二つの価値観が存在するのか。その違いは何か、そしてどうすればその違いを乗り越えることができるのか。解を導く必要があります。そして、見つけ出したら、その答えこそがその人の価値観であり、存在意義になるのです。

 同じことは、スマホを見ながら賄いを作っているときにも行われます。例えばクックパッドで「肉じゃが」を作ろうとするとき、レシピは山のように羅列されます。どれが正しいのかわからない。それなら、一番自分が作りやすそうなものを選んで、その通りにやればいいのです。その結果、何かが違っていると思ったら、今度は別のレシピを試してみる。そういうことを繰り返しているうちに、違いが見えてくる。その違いについて考えるようになる。やがて、自分のレシピが見えてくる。

 すなわち、大切なことはぶつかることなのです。ぶつかって、それを修復することで上達する。ただし、そのためには判断が必要になります。方向と言ってもいいかも知れません。どの方向に進めば良いのか。迷い子にならないためには、道案内がいるのです。うちの店の場合、それがシェフであるぼくです。


 料理人であれなんであれ、人より卓抜した技術を身につけるには、人並み以上の努力が必要です。並大抵で成し遂げられることではありません。でも、自分がその道を選んだのなら、まっすぐ進んでいってほしいと思います。

 ぼくは教育者ではないし、人を導けるような人間ではありません。ぼくはただ、自分の生きる姿を見せつけるだけです。でもそれで何かを伝えることができるなら、ぼくには悔いはありません。


 新人の夢が叶いますように。


# by chefmessage | 2022-05-22 16:04

Y先生のウエストン

   Y先生のウエストン
 フランスのトゥルニュスというブルゴーニュの田舎町でぼくが働いていたのはもう35年以上前のことですが、その頃からフランスは週休2日でした。仕事をしていたのはホテルだから年中無休だったのですが、もぐりのスタジエでしかないぼくもちゃんとシフトに組み入れて休ませてくれました。
 その連休を利用して、月に一度くらいはパリに行きました。でも、決して優雅な旅ではありません。宿は、扉を開けるとベッドと小さな机があるだけの安ホテルです。メトロの回数券を買って、適当な駅で降りて、ひたすら街を歩く。それでも解放感があって楽しかった。

 お気に入りの場所はシャンゼリゼのカフェ「フーケ」。テラス席に座って一杯のエスプレッソで長時間、本を読んだり手紙を書いたり歩く人たちを観察したり。それに飽きたら、次に行く場所は決まっていました。「フーケ」の少し先の角を曲がったところにある一軒の靴屋さん。小さいけれども重厚な店構え。外日の差し込む端正なショーウインドウには男性用の靴が並んでいます。「J Mウエストン」。当時日本ではそれほど知名度は高くなくて、だからぼくも知らなかったのですが、陳列されている靴には存在感があった。何やら神々しさまで漂ってくるようでした。かつてアイヴィ小僧であったぼくにはローファーが気になります。そして圧巻はリザードとクロコのそれ。お値段も圧倒的。店の中に入っていって、せめて手に取ってみたかったけれど、とてもそんな勇気はありませんでした。毎回、パリに行ってそのショーウインドウを眺めて、いつかあんな靴が履けるようになりたいと焦がれるように思った。その時のぼくにあるのは夢だけでした。

 それからずいぶん時が流れました。ウエストンのローファーを買おうと思えば買えないことはなかったし、実際にオーダー会場にまで足を運んだこともあったのです。でもぼくはその度に、「まだまだ」と、はやる気持ちを抑えてきました。他の高価な靴は、それこそ履き切れないほど買ってきたのに。
 それが今頃になって、またウエストンの靴が気になってきました。Y先生のFBでの投稿がきっかけです。

 Y先生は阪大医学部の高名な教授で、とても親しくお付き合いをさせていただいているのですが、その投稿は「靴磨き」のことでした。休日の午前にのんびりと靴磨きをすると精神が澄んでくる、といった内容で、そういえばぼくの大切な友達であるネジ屋のK社長もそんなこと書いていたなあ、と思い出したりしていたのですが、投稿の写真で瞠目しました。それはウエストンの綺麗なサイドゴアブーツだった。読めば、他にもローファーを3足、レースアップも一足お持ちだとか。前からおしゃれの達人だと思ってはいたのですが、やるなあY教授、とそこで話は終わらないのです。宿痾とも言える物欲がむくむくと鎌首持ち上げて「ウエストン、買おうぜ」と囁きかけるのです。明日は定休日やし、阪急メンズ館に売り場あるし。ブルーのローファーなんかええんとちがう?それを履き倒して、休みの日にキウイの靴クリームで磨き上げたら気分ええで、きっと。
 でも、歳とともに自制することも覚えた心が抵抗します。「このごろスニーカーしか履かへんやん」、「まだ一回も履いてない靴、何足もあるやん」、そしてトドメは「まん防で店めっちゃヒマやねんで」。

 天使と悪魔のにぎやかな戦いが繰り広げられて、やがて心は穏やかになります。そして思い至るのです。憧れは現実になった途端に色褪せる。もう何度も繰り返し経験してきたことなのです。韜晦かもしれません。でも、最後まで憧れのままであることも大切なのではないだろうか。
 だから、ぼくは瞼の裏側で艶やかなブルーの光を放っているローファーに向かってこう言うことにしたのです。

 「まだまだ」。
 仰ぎ見ると、パリの青い空が広がっています。

# by chefmessage | 2022-02-06 17:26