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ミチノ・ル・トゥールビヨンシェフ道野 正のオフィシャルサイト


by chefmessage
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  踏みとどまる、ということ

 本来、ぼくは人付き合いの良い方ではありません。そのうえ、面倒見も決して良いとは言えないし、信じていただけるかどうかわからないけれど、実はひどく人見知りをします。だから友達がたくさんできるはずがないのですが、不思議なことにSNS上においては、そうではありません。誕生日になると、本当に多くの人たちがお祝いの言葉をかけてくださいます。それはやっぱり嬉しいことだから、全員に何か一言ずつでもお返ししようと思うのですが、根気が続かないことが最初からわかっているので途方に暮れてしまいます。それなら、みなさん宛に何か気の利いたメッセージでもと思って、いつもならそうするのですが、なぜか今回はそれがうまくできない。どうしてなんだろうと考えて、ぼくはあることに思い当たりました。どうやらぼくは、自分が67歳になったことを認めたくないようなのです。ぼくが尊敬してやまない元「ル・ヴァンサンク」の原彬容シェフの引退した年齢が「67歳」だと聞いていて、それが記憶に残っているからでしょう。

 原シェフには今でも懇意にしていただいていて、時々食事をご一緒することもあるのですが、その研究熱心たるや、まるで現役時代と変わらなくて驚いてしまいます。ぼくよりも勉強されていて、いまだに教えられることが多い。だからある時、原シェフに尋ねたのです。それだけの情熱が引退して10年以上経っても残っているのに、なぜ67歳で引退されたんですか?
 「金属疲労や」。
 その一言だけで、それ以上の説明はなさらなかった。

 その言葉の意味が今はわかるような気がします。
 正直に言いましょう。朝、目が覚めると、もう疲れているのです。そして、もういいんじゃないかと、ふと思ったりします。もう楽になってもいいんじゃないだろうか。
 起き上がって、顔を洗って鏡を見ます。その時、原シェフの「金属疲労」という言葉が思い浮かびます。そして、この状態がそれなのかもしれないと思ったりする。
 どうなんだ、と自分に問いかけます。67歳になったオレはまだできるのか?

 コックになる決心をした時のことが、不意に蘇ってきます。ぼくは生きる意味が知りたかった。自分が存在する理由が知りたかった。そのためには、この体を存分に働かさねばならないと思った。そして、全ての力を出し尽くした時に見える何かがあるはずだと考えた。
 まだ、その時ではないと思うのです。まだ自分には力が残っていて、できることがあるような気がする。だから、たくさんの人たちが誕生日にお祝いの言葉を送って、ぼくを励ましてくれているんだ。

 やっとみなさんにメッセージが書けそうな気がして、少しだけ体が軽くなったような気がします。
 仕事が終わって帰る車の中で、こんな唄を歌っている自分に気が付きました。
 「ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない」

 中島みゆきの「時代」を聞いたのは大学生の時でした。あれからずっと中島みゆきは人を励まし、勇気づける歌を歌い続けている。それに比べると、ぼくのできることはほんのちっぽけなことに過ぎないのかもしれないけれど、こんな拙い生き方で誰かを励ますことができているかもしれなくて。

 誕生日に祝福の言葉をくださって、ありがとうございました。
あなたに励まされて、ぼくは踏みとどまっています。そして、頑張ってみようと思っています。これが67歳になったぼくのメッセージです。
 

 

# by chefmessage | 2021-03-21 15:44

歯医者で泣いた日

  歯医者で泣いた日

 歯が痛くなったので、30年来通っている歯医者さんに行きました。名前が呼ばれて指定された診療台に乗っかって待っていると、先生が来て「あの薬は効いたかな」といきなり尋ねてきます。「は?」と首を傾げた時、受付の女性が慌てた様子でやって来て先生に耳打ちしました。「その人ではありません」。小声だったけど聞こえてしまいました。
 症状を訴え治療してもらったけれど、痛みは治らなかった。
 
 ぼくはこの先生にこれまで随分お世話になりました。料理人という職業柄、歯は大事だったから、何かがあるとすぐにここに来て治療してもらいました。でも、最初に診察してもらった時すでに40代後半、あるいは50代始めくらいだった先生のお年を考えると、寂しいけれど、他の医院を探した方がいいな、なんて考えている間に、歯の痛みはどんどん激しくなっていきました。
 不思議なんですが、大体困ったことが起きるのは土曜日とか日曜日、なんてこと多くないですか?案の定、土曜日の朝に歯の痛みは最高潮になりました。さて、どうしよう。弱り果てたぼくは、丁度出かけようとしている長女に声をかけました。「急で悪いんだけど、治療してもらえるように聞いてもらえないかな?」。「すぐには無理だと思うけど、一応院長に聞いて連絡する」。そう言って彼女はバイト先の歯科医院に向かいました。
 程なくして電話がかかってきました。「診療が始まる前に診てあげるって。だから、すぐに来て」。

 「右奥のブリッジが古いので炎症を起こしています。だから外して治療しますが、とりあえず痛みは抑えましょう」。そんなことから始まって、それから順番に悪いところを全て治療していただくことになりました。それが2年前のことです。そうこうするうちに新型コロナ騒ぎとなり、ここしばらくはご無沙汰していたのですが、その間に専門学校を卒業した娘は国家試験にも合格し、歯科衛生士としてバイト先にそのまま就職することになりました。スタッフ全員が集まった歓迎の食事会にぼくの店を選んでくれたのは院長だったと、娘から聞いたのは去年の春のことでした。

 その歯科医院に久しぶりに行くことになりました。治療そのものは比較的簡単に終わったのですが、定期的な歯の掃除ができていなかったので、院長がしていってくださいと言います。わかりました、と答えると、席を立った院長が誰かと相談しています。相手が戸惑いながらも、「いいですよ」と答える声が聞こえました。院長が戻ってきて、「ぼくがやってもいいんですが、ミチノさんの手が空いているので、彼女にやってもらいます。大丈夫、だいぶ上達していますから」。そして、「安心して任せてください」と念を押します。院長も大変やな、親子に説得せなあかん。なんだか気の毒な気持ちになりました。
 娘がやってきました。緊張しているみたい。
 「まずブリッジ用の特殊なフロスの説明をします」。終わると、「お掃除しますから席を倒しますね」と言います。え、そんなことキミにできるの?と思っているうちに席が動いた。失礼します、顔の上にタオルがかけられます。歯の掃除が始まりました。最初は怖々な感じでかなりソフトです。もっと自信持ってやらんかい、短気な父は心でそう思います。実験台にするつもりで力入れてしっかりやれよ。でも、そんな父の心配をよそに、その手の動きはどんどんスムーズになっていきます。なかなか上手やん。

 この子は本当に勉強が嫌いでした。母親が勉強させようと机に座らせると決まってしくしく泣いた。勉強だけではなくて、人に何かを強要させられることがとにかく嫌だったようです。でも、では何かに秀でているかというと、そうでもない。このままだとあの子は高校に行けないかもしれないと、夫婦で悩みました。そこで中学3年になったときに、とにかく塾に行かせることにしました。嫌かもしれないけれど、1年だけ我慢して欲しい。
 公立の高校にうかった時、一番驚いたのは本人でした。ぼくたち夫婦は奇跡だと思った。でも彼女は相変わらず勉強しなかったし、部活も長続きしませんでした。母親は宣言しました。私はあの子にはもう何も言わない。好きなようにさせる。それに呼応するかのように娘はコンビニでバイトを始めて、ぼくに言いました。「私にはバイト代が入るから、もうお小遣いはいらない」。そして、高校3年間で貯めたバイト代と奨学金で専門学校に進みました。

 「次に歯茎の検査をします」優しい声です。手際良く、でも丁寧に工程が進んでいきます。あの子がやっているんだ。いろんな思いが駆け巡ります。

 ぼくは今思うと、本当にダメな父親でした。参観日や運動会には行ったことがない。それどころか、お誕生日もクリスマスにも何もしなかった。一緒に旅行なんて考えたこともなかった。いつか家内がぼくに言いました。「あなたは仕事ばっかり。このままだと、いつか娘たちに見捨てられるよ」。
 構わないから。お父さんのことは見捨てても構わないから。何があってもキミなら大丈夫だから。オレはキミのことを誇りに思っているから。
 やばい、オレは泣く。そう思ったらますますうるうるしてきて。

「じゃ、最後に歯に圧をかけてグラ付きの検査をします。」。指が歯を順番に押していって。「はい、お疲れ様でした」。
 顔のタオルが外され椅子が起こされた時、背後の娘がカルテに何かを書き込んでいる隙をねらって、うがいカップの横のティッシュをさっと取って、目頭を拭ったことは誰にも言えない秘密です。

 娘が離れていって、もう一度院長に点検してもらって、それから席を立って待合に戻る時、院長に言いました。「ありがとうございました。ちょっとうるっとしました」。それを聞いた院長は笑って二度ほど頷いた。いい人のところに娘は就職したとぼくは思いました。

 痛かったわけではないのに歯医者で涙が出るなんて、そう思って笑えました。外に出ると風はまだ冷たいしコロナ禍はまだ治らないけれど、春はすぐそこまで来ています。


# by chefmessage | 2021-02-17 21:34

クリスマスの灯り


  クリスマスの灯り


 今年のクリスマスほど静かで暗いクリスマスは経験したことがありません。


 ぼくのレストランがある大阪市福島区は飲食店が星の数ほどある地域なのですが、午後9時くらいになると、営業時間短縮要請もあって多くの店が灯りを消します。今日は12月の23日、明日はクリスマスイブだというのに。

 うちの店でも予約は芳しくありません。浮き立つような気分ではない。でも仕事はたくさんあって、スタッフもアルバイトも忙しく働いています。「蘇ボックス」のクリスマスバージョンが、告知すると同時に完売になったからです。

 4月の末から始めたテイクアウトの「蘇ボックス」は、全ての作業を自分たちだけでこなしています。受注から発送までのメールのやり取りやスケジュール調整、それから梱包に宅急便の受け渡しまで、新任の女性マネージャーがやってくれています。料理は、ぼくと勤続11年になる凄腕美人スーシェフが、スイーツセットを含むお菓子は全てマダムが作っています。個別の包装はアルバイトが担当して、総勢4人とアルバイト1名で「蘇ボックス」「スイーツボックス」は出来上がっています。

 内容は二ヶ月くらいで更新して現在はシリーズ4になっていますが、3で生産者の皆さんと、4ではパンの名店「ル・シュクレクール」とコラボすることで相乗効果が生まれて、現在も受注は途切れることがありません。

 そして何より嬉しいことは、121日から開始した4は、8割がリピーターさんからの注文であったということ。

 これには訳があります。


 マネージャーから厨房に回ってくる注文スケジュールには、RとかWとかBDとかの但し書きが添えられていることがあります。リピーター、結婚記念日、お誕生日です。それぞれに、おまけがつきます。袋に入った小さなお菓子や、BDの場合にはメッセージと名前の入ったクッキーなど。これはぼくの考えたことではありません。マネージャーとマダムの発案です。

 そういう気遣いの積み重ねが功を奏したということなのでしょう。たくさんのリピーターさんを得ることができました。


 また、もう一つの発見は、メールでのやり取りでお顔も知らない方々なのに、お礼のメールがたくさん届くことです。

 「一人娘が初めてもらったお給料でご馳走してくれました。親子3人、忘れられない夜になりました」というのにはグッときました。「一緒に食べた母が、今年一番の美味しさだと言って喜びました」、「90歳の父はブイヤベースが一番気に入ったようです」など、その様子が目に浮かぶようでした。

 そのようなお礼のメールは、マネージャーがプリントアウトして渡してくれます。一番新しいメールには、盛り付け写真が添付されていました。そして、「これで何があっても乗り切れると思います」という言葉で締め括られていました。

 それを読んで、思わずぼくは自分の店のスタッフに目をやりました。朝から晩まで、本当にみんなよくやってくれています。その一人一人にぼくは言いたい。君たちは本当に立派な仕事をしている。ぼくは君たちを心から尊敬し、誇りに思っている。そして、そんなスタッフが丹精込めて作った「蘇ボックス」が今日もたくさんの人のお家に届けられます。


 街は静かです。でも、お家の中で、家族一人一人の心に光は灯ります。そのお手伝いができることで、ぼくたちもまた勇気をいただいているのです。

 


 感謝を込めて皆さんに。

 「メリークリスマス!」忘れられない思い出となりますように。


# by chefmessage | 2020-12-23 16:23