人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ミチノ・ル・トゥールビヨンシェフ道野 正のオフィシャルサイト


by chefmessage
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

料理人のDNA

 唐突ですが、たらの白子でお好み焼きみたいなの作れないかなあ、と思ったのです。そこで、たらの白子を買ってきて、試作を始めました。まず、アパレイユ、すなわち、つなぎは何がよいかを考えます。小麦粉と水だったらなんのひねりもないので、ここは、普段使っているアパレイユ・ア・ブレッサンヌ、ブレス地方のネタ、くらいの意味だと思うのですが、じゃがいものパンケ-キのネタを使うことにしました。フランスの地方料理に、じゃがいもとたらのグラタン、みたいなのがあったはずだから、組み合わせとしては問題ないでしょう。で、次の段階。パンケ-キを焼いてその上に白子をのせ、上からもういちどネタをかけてひっくりかえし焼き上げるのか、それとも、パンケ-キを2枚焼き、別のフライパンで火を通した白子をはさむのか。最初の方は、出来上がりの形が悪い。どうしても隙間ができるし、上にパンケ-キがのっかっているみたいで、安定もよくありません。次の案は論外。全然、お好み焼きらしくありません。そこで、ええい面倒とばかりに、小さなボ-ルに一人前の白子を入れ、スプ-ン一杯分のパンケ-キのネタを入れて混ぜ、テフロンのフライパンを使って、弱火で両面焼きました。これが大正解。形は分厚いお好み焼きみたいだし、白子の隙間をネタが埋めて熱を伝えるので、こんがり焼けた段階で全てに火が入っています。気を良くして次に進みます。ソ-スはどうするか。ウスタ-ソ-スに似たフレンチのソ-ス。そこで想像を巡らせます。さきほどのじゃがいもとたらのグラタンの場合、合わせるワインは白か赤か。魚料理だから白?でもグラタンになる魚なら赤でもいいんじゃないか。だったら赤ワインのソ-スでも問題ないんじゃないか。それに、たらといえば南仏のイメ-ジだからトマトもO.K.かな。そこで、赤ワインのソ-スをトマトペ-ストでつなごうと考えました。作ってみると、まるでウスタ-ソ-スなんですね。よしよし。でも、これだと、オ-ドブルとしては重すぎるんです。もっと軽くしないと。なにか酸味のあるもの。で、マヨネ-ズの登場です。ますます、お好み焼きに近づきます。それでまず皿に線を書いてその上に焼き上げた白子をのせ、ソ-スをかける。でも、まだだめです。食感が単純すぎて退屈です。見た目もよろしくない。なにかパリッとしたもので噛むリズムに変化をつけたい。そういえばネギ焼きというのあったなあ、で、ポロネギを細切りにしてさっとフライにし、ソ-スをかけた白子の上にフワッ。この色がかつを節なら後はノリか?緑やな、イタリアンパセリをあしらって、ハイ、出来上がり。めでたく、レストラン・ミチノの新メニュ-となりました。チョットこじつけめいたところもあるのですが、僕の場合、こうして新作が生まれていきます。それを延々14年間続けているという訳です。よく、どこから発想するのですか、と聞かれますが、僕にもよくわからない。でも、読んでいただいた方にはご理解いただけると思うのですが、僕はけっして奇を衒っているのではありません。誰よりもおいしい料理を作りたい、その思いは世の料理人と変わらない。でも、僕はそれ以上に、僕にしかできないものを生み出して、そのことで人を感動させたいと願っています。だれも登ったことのない山に登ってみたい。何故そう思うのか、これもよくわかりませんが、多分そうする事で、あなたもやればできるかもしれませんよ、というメッセ-ジを常に発信したいのかも知れません。たかが食い物でなにを偉そうな事を、と思われるかもしれません。そのことは、じつは本人が一番よく理解しております。されど食い物、ということも同時に。
 ここで話はコロッと変わりますが、鮭児というバカ高い鮭を今年も仕入れました。一万匹に一匹とかいう代物ですが、これは僕が思うに、DNAの刷り込みが風変わりな個体なのではないでしょうか。通常、鮭は4,5年で繁殖のため、生まれた川にもどるらしいのですが、鮭児は、まだその年じゃないのに何故か帰巣本能にめざめてしまう。でも、まだ繁殖のための器官ができていない。でも栄養だけは摂るので、からだはまるまる太っている。だから、おいしい、と。はじめて見たとき、僕はその美しさに息をのみました。婚姻色がでていないので、その紡錘形の魚体は白銀に輝いていました。これなら、群のなかに混じっていても判別できるだろうな。だから、一万匹に一匹という数字がでるのだと理解できたのです。でも、鮭児にすれば迷惑な話かもしれません。目立つから、すぐに捕まってしまいます。今年は、その鮭児が豊漁なんだそうです。ということは、どこかに一杯いるのかもしれません。それを想像すると、結構楽しい気がします。
 僕も、料理人としてのDNAが風変わりなのかもしれません。といって、僕が一万人に一人なんて、まちがっても思っていないから勘違いしないでくださいね。でも、こんなに料理の世界に才能が集まり、レベルも上がってきている時代なら、これから鮭児の豊漁の時代がやってくるのかもしれません。たかが食い物、されど食い物、さあ、今年も最後まで頑張りますか。みなさん、白子のお好み焼き、食べに来てくださいね。
# by chefmessage | 2003-11-13 02:35

拝啓、大溝シェフ様

 苦労話なんてガラじゃないから、僕はあまり修行時代のことは語りたくないのですが、そういうこと聞くのが礼儀のように思っておられる方も沢山いらっしゃるようなので、たまにはそんなお話も。
 きょうびの若いもんは、という言葉は、もう耳にタコができるくらい今まで聞いてきましたが、僕自身23才まではそう言われる側の人間だったように思うので、それでもやる奴はやりますよ、と答えてきたのですが、本当に苦労知らず、努力嫌い、いいとこどりの、そのうえ目だちたがり屋の人間だったと、振り返れば恥ずかしい。お父さん、お母さん、そして兄弟親戚、みんなまとめて謝りたいくらいです。じゃあ、24才以降はどうだったかというと、基本的な人間性はあまり変わっていないとは思うのですが、ひょんなことから調理師の世界に入ってしまったので、それどころではなくなってしまいました。なにしろ、スタ-トとしては異例な遅さだったので、覚えないといけない事や、こなさないといけない事の山積みで、ぼんやりしている時間なんてまるでありませんでした。実は、えらい世界に突入してしまった、と、心の中は後悔の嵐だったのですが。
 発端は、大学のときのガ-ルフレンドが、フランス料理店でバイトを始めたことだったのです。それじゃ一度食事に行くか、ということになって、食後、シェフとお話しました。卒業前で、就職も考えないといけない時期だったのですが、その時、シェフになるのもいいかもね、なんて唐突に考えてしまったのです。そこでシェフに問いました。「雇ってもらえませんか。」、シェフは答えました。「悪い事言わんから、やめとき。辛抱でけへん。」。で、どうなったか。昔から負けん気だけは強かったのでしょう、絶対にやってやる、と思って、その後、むりやりそこの調理場に突入してしまったのです。京都の北区にあるボルド-というお店です。シェフは大溝隆夫氏。
 料理人になったキッカケも、フランス料理に進んだのも、理由といえばそれだけ。本当なんだから仕方ない。でも、その後は前述通りたいへんでした。なにしろ、豚肉と牛肉の区別も、アジとサバの違いもわからない。寸前まで新訳聖書のお勉強してたんですから。ナイフ持てば手を切る、フライパンさわれば火傷する。怒られるよりあきれられる日々でした。疲れる、ふてくされる、でも、大溝シェフは、僕を使い続けてくれました。随分厳しかったけどね。で、気がつくと、後悔の日々から、もう25年もたってしまいました。
 誰でも、その方角に足を向けて寝る事ができないという、特定の人物がいると思うのですが、僕にとっては大溝シェフがまさしくその人でしょう。今、僕が持っている料理人としての哲学があるとすれば、その多くは大溝シェフが僕に教えてくれたものの様な気がします。
 その大溝シェフが、今回、フランスから、なんと勲章贈られることになりました。農事功労賞とやらで、なんでシェフが農事と関係するのか良くわかりませんが、とにかくシュヴァリエなのです。英語で言えばナイト、騎士です。サ-、とお呼びせねばなりません。そこで、その祝賀会が11月に開かれることとなり、招待状が届きました。開くと、国内の有名シェフのお名前てんこ盛り。そういうパ-ティ、苦手なんです。でも、行かねばならん。
 僕は正直言って、名誉とか勲章とかにはまるで興味がありません。生涯、市井の一料理人として、現役であり続けたいと思っています。だから、ホテルとか大宴会場のシェフにはなりたくない。あくまで自分のお店で、自分の顧客のために料理を作り続けたい。できる仕事量は小さいでしょうが、一つ一つの完成度を大事にしたい。と、ふと思いました。大溝シェフもそうだ、と。一軒のお店をずっと大切に守っておられる。その人が勲章もらったんだから、これは是非行かねばならんな、と。
 
そこでス-ツを誂えることにしました。うちの従業員の滝本君のお父さんが腕のいいテ-ラ-なので、以前から考えていたのです。この際、思い切って作ろう。それを着ていくんだ。で、パ-ティにくる偉い人達は、どうせダブルの、ダボッとしたダサいス-ツが多いだろうから、僕は細身で、Vゾ-ンが狭いシングル3ツボタンで、色は紺がいいかな、目立つだろうな、なんて。シェフ、すみません、沢山教えていただきましたが、やっぱり性格変わってないようです。
# by chefmessage | 2003-09-13 02:35

天国の扉

天国の扉_d0163718_2332959.jpg

 夜明け前に釣り場に着いて、名人秘伝の仕掛けを作成し、テレビの出演料で買ったのでNHK号と名付けた新品のロッドに、同じくギャラ丸と命名したリ-ルをセットし、仕掛けを繋いで、タバコ一本ふかした後、あたりが明るくなりはじめるとともに第一投。緊張していたのか、ねらったポイントの少し手前に着水。すぐに巻いてキャストしなおそうか、とも思ったのですが、まあ一投目だからいいか、と流したのです。手前まで仕掛けが来たので、巻き上げようとリ-ルに手をやってロッドを立てたとき、竿先が下流に向かって一気に引っ張られました。反射的に合わせたその瞬間、川の表面で青黒いものがグワッと渦を描きました。その波紋の大きいこと!それを目にした時、背筋を何かが駆け登って頭から空へと抜けていきました。天国の扉が開きました。僕は、ただ魚とのやりとりにのみ存在しています。彼が走れば、それに合わせて緩み、彼が止まれば、力を漲らせます。押しては引き、引いては押し、その繰り返しが忘我のうちに続いて、彼が岸辺に身を横たえたとき、扉は閉じ、僕は僕に戻ります。体長90センチ超、重さ8キロのオスのイトウです。それが冒頭の写真です。今年の6月、場所は北海道北部のある川。名前が明かせない理由は、後述。

 実際、それを釣り上げるまで、何年かかったことでしょう。いつかは釣ってやる、と思いながら、何回寄り道したことでしょう。網走での、雄武でのサケ釣り、紋別での、大雪ダムでのマス釣り、不発、不発、不発。毎回同道して案内してくれる、旭川は「メランジェ河原」の河原君に、一体いつになったら大物釣らすねん、と言ったのは、15センチしかない虹マスを釣ったときでした。それがこたえたのでしょうか、探し回って、彼がついに巡り会ったのが、イトウ追い続けて20年、我々が今、名人と尊称している東海林 毅さんでした。名人は、河原君が講師をしている旭川調理師学校の肥田校長の義理のお兄さんで、肥田先生のご紹介でお目通りがかなったのですが、イトウ釣り入門の条件として、1,釣った川の名前とポイントは黙秘すること。2,仕掛けは他人に教えないこと。釣り場に残すことも厳禁。以上約束してもらえますか、ということで、イトウという幻の魚の名前にすでに頭がクラクラしている我々は平身低頭、了解いたしました、つきましては是非とも、というこで、めでたく弟子入りを許されたのでした。

 そして、実際に名人に連れられて釣りに出かけたのが、去年の9月。名人の道具一式お借りし、川の中に立ちこんで直接指導を受けました。しばらくして、じゃ、僕もやります、と言って、別の竿で、名人は僕の1メ-タ-ほど横で第一投。みごとな遠投のあと、スッと 竿を立てるやいなや、「来たっ!」。エ-ッ、嘘やろう、なんで?とびっくりしている僕に名人は「竿、換えましょう。」。これにはあわてました。でも、あわてながらも無事、魚を岸まで寄せれたのは、僕の海釣りの師匠こと、豊中の中谷さんの薫陶のおかげだと思います。大物との冷静なやりとりは、中谷師匠に教えられて慣れていましたから。でも、以外だったのは、イトウって、川の真ん中で踏ん張るのです。海の大物、例えばスズキとか黒鯛とかは、針がかかると闇雲に走るのですが、イトウはどっしりとして踏ん張ってみせる、そうなるとこちらはどうしようもなくなるのですが、そのへんの威風堂々ぶりが、アイヌの人達に、川の神様とあがめられたところなのかと思います。でも、これでは、自分で釣ったことにはならない。で、同じ年の11月に再度挑戦するも惨敗。その後、自前のロッドとリ-ル持参の、今年6月の釣果となるのです。

 そして、満を持してのこの9月。改装なって随分雰囲気のよくなった「メランジェ河原」での、道野・河原フェアは絶賛の嵐で無事終了し、翌日、釣り初日の夕方一度ヒットがあったのですが、早あわせで仕掛けぶっちぎられ、捲土重来の翌朝、場所を変えて、名人に教えられたポイントに向かいました。でも、その場所には一度実績のあるマイポイントがあるもんだから、いつも運転手を勤めてくれるメランジェのマネ-ジャ-平田君を労う気持もあって、「一匹くらい釣ってこい。」と、余裕かまして名人ご指定ポイントを譲り、僕は本命と決めていたところに向かったのです。ところが、水位が下がっていて、状態がよくない。そうか、名人これをよんでいたのか、と思って平田君のほうを見ると、彼のロッドが弓なりになっている。一瞬、胸中をよぎる後悔!でも、焦りまくる平田君の姿をみて、コ-チする事にしました。そして、釣り上げた70センチ。すこし小振りですが、紛れもないイトウです。よかったな、と悔しさ飲み込んでかけた言葉に彼、なぜか反応せず。思わずムッとしてよくよく見ると、彼、震えていました。そうか、こいつも天国の扉開けたのか。
 その後、2回場所を変えたのですが、時間切れ。今回は、不発に終わりました。でも、平田君の釣果で、何故か納得。次は、来年という事で帰阪したのです。

 再び、熱い大阪で仕事が始まった昨日、お客さんで友人の、箱屋のヤマピ-こと好青年山田君から電話がありました。うちの店で結婚式挙げてくれて以来のつき合いなのですが、入院したという知らせを聞いて心配していたのです。心臓に人口弁を入れる大手術だったそうですが、やっと退院できることになった、という報告でした。よかったなあ、と言うと、彼が、「シェフの料理食べにいけるようになるぞ、と夫婦で励まし合ってたんです。退院したら、真っ先にお店行きます。」と応えました。そのとき、背筋が熱くなって、なにかが頭の先へと駆け抜けていきました。山田君、釣りといっしょにする訳じゃないんだけど、と僕はこころの中で思いました。ここにも、僕の天国の扉があったよ。
# by chefmessage | 2003-08-13 02:29