けれども、穏やかで、人の意見に耳を貸すミチノなんてつまらん、過激な時代が懐かしいと言われる方も確かにおられるのも事実で、そういう方のために今回は、ご説明申し上げます。
内容的には、今の方がむしろ過激だと自分では思っています。というのも、僕の料理は、どんどんシンプルになっている。すなわち、飾り立てることをやめつつあります。これはどういうことかと申しますと、目眩ましができなくなっている。見た目でカバ-できないので、はずすと取りかえしがつかないのです。僕は、一皿の上にいっぱい盛り込むことは焦点をぼかすことだと思うし、自信のなさだと思います。むしろ、見た目は地味なのに、食べると感動があるもの、それは、浅く広くではなく、深く狭く入り込んでゆくものです。そのためには、緻密な計算とバランス感覚が必要です。僕は、おいしいと思うものしかつくらない。そして、フランスでは、とか、イタリアでは、なんて寝言は言わない。いまが旬のジビエについてもそうです。
去年、予約がとれない事で話題の某フランス料理店で、ペルドロウ<山ウズラ>を食べました。そこのお店は、独特の香辛料の使い方が素晴らしいそうですが、そのペルドロウは、腐敗臭がひどくてたべれませんでした。ペルドロウには2種類あって、ル-ジュとグリがあるのですが、それはル-ジュだったのでお肉もばさついていました。グリだったら滋味深い分救いもあったのでしょうが、数もすくなくて高価なのでル-ジュを使ったのでしょう。マダムが心配して「お口にあわないですか?」と言ってくれたのですが、とても正直にいえませんでした。言ったら、気を悪くされるだろうし。で、僕も反省したのです。フランスではこの香りが珍重されるんですよ、と言ってきたから。そして、お客さんもそう思いこんで食べてこられたのでしょう。でも、これはいかんな、と。みんな正直になろうよ、と。
この時期、フランスやヨ-ロッパの国々からジビエが送られてきて、高価なそれらの食材を僕たちは競って使おうとします。でも、どう判断しても、状態のよくない物が大半なのです。自分達がまず良いとこどりして、その残りを送ってきたんじゃないかと思えることもあります。でも、使わないといけないから、フェザンタ-ジュという言葉を使うのです。でも、熟成と腐敗はちがう。念願かなって3ツ星取ったギイ・サヴォワが言ってたのを思いだします。「フェザンタ-ジュなんて過去の概念だ。食材は新鮮なものがよく、そうであるなら、調理法はシンプルでよい。」その通りだと思います。だから、無理して状態の良くないジビエは、僕は使いません。お客さんが食べて、素直においしいと思えるジビエ料理しかやりません。
だから、今年は、鹿は和鹿を使おうと思っています。聞けば、お刺身用とか。それをハスカップのジャムを使ったソ-スで。それと、イノシシは、天津甘栗のソ-ス。鴨は、オリ-ヴとチョコレ-トのソ-スで。どう、おいしそうでしょ。これでも、過激じゃない?
それと、今年の12月は大忙しになりそうです。
まず、13日と14日に天才料理小僧、杉本君とのフェア-があります。若干23才ですが、10年後は、こやつがフランス料理界のキ-パ-ソンになるような気がします。でも、今回は試練の一番勝負になることであろう。なんせ、相手はこの俺様だもんね。少しですが、お席あります。
また、年末には、生まれて初めての、おせちです。こっちの方がドキドキですね。予約受け付けてます。ただし、30個しかしません。というわけで、今年も最後まで、貧乏ヒマなしであった。ワハハ。