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ミチノ・ル・トゥールビヨンシェフ道野 正のオフィシャルサイト


by chefmessage
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 先日、うちの店のスタッフが、西宮にあるオステリア・エノテカ、ご存じ八嶋氏のお店に食事に行ったときのこと。食後に僕の話題になって、彼が言うには「ミチノシェフ、この頃おだやかでまるくなった、と業界の噂だよ。」そしてその後、「自分ら知らんやろけどな、、、」と前置きして、僕がいかに過激な存在であったかを蕩々とお喋りしてくれたそうです。八嶋君、君には言われたくないぞ。でも、そう言われたらそうかな、とも思います。ひとの意見に少しは耳を傾けるようにもなったみたいだし。ただ、どういう形であっても、変化するというのは自然の摂理であって、それがよい変化なら、これは正常進化というものではないでしょうか。50才近くなって、まだ成長し続けているなんて、おもしろいと思いません?と、そう思っているのは自分だけのような気もしますが。

 けれども、穏やかで、人の意見に耳を貸すミチノなんてつまらん、過激な時代が懐かしいと言われる方も確かにおられるのも事実で、そういう方のために今回は、ご説明申し上げます。

 内容的には、今の方がむしろ過激だと自分では思っています。というのも、僕の料理は、どんどんシンプルになっている。すなわち、飾り立てることをやめつつあります。これはどういうことかと申しますと、目眩ましができなくなっている。見た目でカバ-できないので、はずすと取りかえしがつかないのです。僕は、一皿の上にいっぱい盛り込むことは焦点をぼかすことだと思うし、自信のなさだと思います。むしろ、見た目は地味なのに、食べると感動があるもの、それは、浅く広くではなく、深く狭く入り込んでゆくものです。そのためには、緻密な計算とバランス感覚が必要です。僕は、おいしいと思うものしかつくらない。そして、フランスでは、とか、イタリアでは、なんて寝言は言わない。いまが旬のジビエについてもそうです。

 去年、予約がとれない事で話題の某フランス料理店で、ペルドロウ<山ウズラ>を食べました。そこのお店は、独特の香辛料の使い方が素晴らしいそうですが、そのペルドロウは、腐敗臭がひどくてたべれませんでした。ペルドロウには2種類あって、ル-ジュとグリがあるのですが、それはル-ジュだったのでお肉もばさついていました。グリだったら滋味深い分救いもあったのでしょうが、数もすくなくて高価なのでル-ジュを使ったのでしょう。マダムが心配して「お口にあわないですか?」と言ってくれたのですが、とても正直にいえませんでした。言ったら、気を悪くされるだろうし。で、僕も反省したのです。フランスではこの香りが珍重されるんですよ、と言ってきたから。そして、お客さんもそう思いこんで食べてこられたのでしょう。でも、これはいかんな、と。みんな正直になろうよ、と。

 この時期、フランスやヨ-ロッパの国々からジビエが送られてきて、高価なそれらの食材を僕たちは競って使おうとします。でも、どう判断しても、状態のよくない物が大半なのです。自分達がまず良いとこどりして、その残りを送ってきたんじゃないかと思えることもあります。でも、使わないといけないから、フェザンタ-ジュという言葉を使うのです。でも、熟成と腐敗はちがう。念願かなって3ツ星取ったギイ・サヴォワが言ってたのを思いだします。「フェザンタ-ジュなんて過去の概念だ。食材は新鮮なものがよく、そうであるなら、調理法はシンプルでよい。」その通りだと思います。だから、無理して状態の良くないジビエは、僕は使いません。お客さんが食べて、素直においしいと思えるジビエ料理しかやりません。
 だから、今年は、鹿は和鹿を使おうと思っています。聞けば、お刺身用とか。それをハスカップのジャムを使ったソ-スで。それと、イノシシは、天津甘栗のソ-ス。鴨は、オリ-ヴとチョコレ-トのソ-スで。どう、おいしそうでしょ。これでも、過激じゃない?
 
 それと、今年の12月は大忙しになりそうです。

 まず、13日と14日に天才料理小僧、杉本君とのフェア-があります。若干23才ですが、10年後は、こやつがフランス料理界のキ-パ-ソンになるような気がします。でも、今回は試練の一番勝負になることであろう。なんせ、相手はこの俺様だもんね。少しですが、お席あります。
 
 また、年末には、生まれて初めての、おせちです。こっちの方がドキドキですね。予約受け付けてます。ただし、30個しかしません。というわけで、今年も最後まで、貧乏ヒマなしであった。ワハハ。
# by chefmessage | 2002-12-10 22:45
 恐るべき暑さもいつの間にか様変わりし、朝晩には涼しい風が吹いて、優しい秋の訪れが感じとれるようになってきました。この秋には話題のお店のオ-プンが続々控えており、僕も楽しみにしているのですが、聞こえてくる噂だけでも大層なもので、北新地にできる、イタリア料理の笠井君がシェフに就任するお店は100席くらいあって、客単価2万円らしいとか、高麗橋のシェ・ワダは内装にも外装にもすごくお金がかかっていて、4万円のコ-スがあるらしいとか、景気って本当に悪いの?とついつい現実を忘れそうな話しがあちらこちらで囁かれていて、僕なんか、羨ましがってしまうのですが、でもそれはそれ、僕は自分のお店をどこにも負けないお店にすべく、秋のメニュ-に、ない知恵を絞っているところです。

 でも、お店を運営していくって、本当に難しい。先の二軒の噂話も、感嘆と共に、それで本当にやっていけるのか?という揶揄の響きも混じって囁かれているような気がします。
夢のレストランって、オ-ナ-シェフにとってもお客さんにとっても同じものなのか?多分、そこには、越えられない一線が確実に存在すると思います。なぜなら、お金がいったりきたりするから。片方は貰う側、もう片方は払う側、同じ立場じゃないんです。どちらが優位かなんて、尋ねる必要も有りません。だから、理想のレストランというのは僕が思うに、両方が歩み寄れる、言葉を変えるなら、互いに相手に敬意をはらえる場所という前提にしか成り立たないと思うのです。払え、でも、払ってやる、でもない場所。でも、それって本当に難しい。僕たちにしてみれば、これだけやってるんだから、と思ってしまうし、お客さんにしてみれば、これだけ出すんだから、と思う。人によって金銭感覚も全然ちがうしね。ただ、お金を払うからお客さんは神様で、だから何でも言うとおりにしろ、っていうのはお断りですね。僕は一応クリスチャンだから。と、それは冗談としても。

 で、僕はといいますと、どちらかというと歩みよらなかったです。そちらから来て下さい、僕はここで誰にも負けないお仕事やってますからっていう。そうして、13年が過ぎたのですが、ある時ハッと気づいたのです。歩みよる必要がないと考えているうちに、お客さんとの距離が随分と開いてしまって、実は僕は一人で悦に入っているだけなんじゃないかと。だから、毎日疲れているんじゃないかと。それは年齢のせいばかりじゃなくて、精神的な新陳代謝ができなくなっているからじゃないかと。ミチノ-裸の王様現象と名付けました。いつの間にか大御所気取りになっているなんてカッコわるいぜ。丁度、若手の新しいマネ-ジャ-も入って、マダムも多少は子育てに余裕ができて、現役復帰したがっているし、やるなら今しかないな、と。

 で、もう一度、お客さん、とくに若い人達との距離を縮めるべく、あるいは、最前線復帰を目指すべく、ミチノの改革は開始されたのであった。以下、実行したことを箇条書きにします。
 1,バタ-を出すことにした。いままで出さなかったんですね、わざと。というのも、その分カロリ-があがるし、こちらとしてはソ-スで食べてほしかったし。でも、やっぱりバタ-塗って食べるとパンっておいしいもんね。ただ、ここでも拘りがあって、バタ-はタカナシの無塩です。これって、日本一おいしいバタ-だと思う。
 2,ソフトドリンクが登場した。ただし、グラピヨンという市販されていないグレ-プジュ-スのみ。でも、料理の邪魔しないし、おいしい。
 3,ワインの持ち込みがオ-ケ-になった。いままで、断固拒否していましたが、僕のところで飲みたいという気持ちも察して。でも、持ち込み料は頂戴いたします。なんせ、ウチにも在庫2,000本あるもんで。あしからず。
 4,毎月第一と第三月曜日にお料理教室も始めた。
 さて、ミチノ革命はまだまだ続く。
 5,ランチ¥2,800,ディナ-¥5,500で、オ-ドブルとメイン料理が選べるようになった。これは画期的です。いままで、選べるコ-スは¥12,000のディナ-だけだったから。ただ、どうしても、一部のお料理で追加料金をいただきます。でないと、赤字になるもんで。
 6,これには、さすがのウチのマダムもおどろきました。なんと、¥1,500のランチ登場。会社のお昼にどうしても利用したいというお客さんのためにご用意した、サラダとメイン、コ-ヒ-だけのコ-ス。ただし、一日10名様のみ。というのもこのランチ、使う食材は夜用と同じだから。売り切れご免。

 なんてことやったら、逆に批判的なご意見もあるようで、ミチノは値段を下げて、レベルも落として金儲けに走ったのではないか、いわく、魂を売ったんじゃないか、なんて。で、お答えします。お金は儲けたいです。でも、値段は下がったのに、やってる仕事も食材も変えなくて儲かりまっか?それにそもそも、値段を下げたという意識はありません。コ-スの幅を広げて、もっとたくさんの人に、僕のお料理をたのしんでもらいたいだけなのです。すくなくともお料理に関しては、どんな新規オ-プンのお店だろうと負けはしないと思っています。だって、この13年間、僕は一歩も後ろにさがっていないもの。それに、変節とも思われかねない数々の変化は、僕としてはむしろ、それらができるようになった分、依怙地さを捨てて、お客さんの気持ちに近づけたという事なんだと思えます。僕はいつでも、昔は良かったなんて思っていないし、今が一番だと考えて生きています。僕自身はいつもアバンギャルド・前衛に位置していたい。時代の空気をリアリタイムで呼吸していたい。そして、最高の仕事をし続けたい。そのためには、受け手が必要なのです。
 
さあ、いかがですか。あとは皆さんの番です。ご遠慮なさらず、もっとお近くに
# by chefmessage | 2002-11-10 22:44

料理は芸術か?

 よく、料理は芸術だ、という言葉を耳にします。でも、これは意外だと思う人、結構いるかもしれないけれど、ぼく自身は正直言って、そう考えてはいません。というのも、芸術というのは、光と影の両方とも表現できるものだと思うからです。例えば、夏目漱石。「猫」は笑えるけれど、「こころ」は辛くなるでしょう。でも両方とも彼の作品で、共に芸術であると認められているのではないでしょうか。ゴッホの絵でもそうです。「ひまわり」は静かだけどエネルギッシュで、前向きな力を感じさせます。でも、晩年の作品群なんて、ポプラの木にさえ、孤独の果ての狂気みたいなものが渦巻いているようで、見ていて息苦しくなるほど。
 というように、芸術はポジティヴとネガティヴ、両方とも表現できるのです。しかし、料理は、そうではありません。それは基本的に、人が必要とするエネルギ-を与えるために行われる作業で、いわば、人の生きる力を作りだすのがその骨子であるため、ネガティヴはありえず、表現も、ひたすらポジティヴでなければならないのです。だから、芸術というには、一方通行というか、片手落ちだと、ぼくは思います。その思いを再確認する出来事として、最近、こんなことがありました。

 オ-プン以来おいでいただいている、Sさんというご家族がおられるのですが、そのSさんのご主人が、先日、亡くなられました。急なことで本当にびっくりしたのですが、Sさんの息子さんからお電話があり、葬儀の後、家族・親族で食事に行きたいとのこと、勿論お受けしました。その時、お話しを伺ったのですが、体調を崩されて入院後、わずか1ケ月で亡くなられたとのこと。そして、入院中まだお元気なときは、退院したらミチノで食事しようね、というのが、ご家族の合い言葉だったこと。それだけでも万感胸に迫る思いなのに、もはや、ご自分が退院できないと悟られたとき、ご家族に対し、こうおっしゃられたというのです。
 葬儀は密やかに行うこと。そして、そのあと全員でミチノへ行って楽しく食事すること。
 ご家族に、元気で暮らしなさいというメッセ-ジとして、ぼくのお店で食事するよう言い残された、ということをお聞きしたとき、ぼくは、Sさんという人の高潔なお人柄に心打たれました。同時に、これまでのおつきあいに感謝し、また、この仕事に就けたことをも誇りに思いました。そして、ひたすら前向きであることも教えていただいたような気がします。

 話が、少しシリアスになってしまいました。でも、やはりそこにあるのはポジティヴであり、プリミティヴなのです。だから、料理は芸術だ、なんて当の本人が言うのは尊大だという気がしてなりません。むしろ、完璧を志すべき仕事、とでも言えばいいでしょうか。
 前述の、Sさんのお母さんは、現在93才。ぼくのお店のお客さんとしては最高齢です。そのお母さんが、長生きしてミチノさんのお料理を食べ続けたい、とおっしゃったとき、ぼくも頑張って続けていこうと思いました。そして、そのようなおつきあいは、芸術という美名のもとに、実は経済的原理のみを追求している大バコレストランには、決して生まれ得ないものなのではないでしょうか。
 でも、ぼく自身も反省しなければならない点があると考えています。ある意味、小さなレストランは、自閉的、自己満足的になりやすいからです。そこで、門戸を開放すべく、先月はランチを、ぼくとしては随分フレンドリ-に変更しました。今月は、ディナ-です。
従来よりも、量・価格ともに親しみやすいコ-スを加えます。こんな時代だから、一人でも多くの人に勇気を与えたいし、ぼくも与えてほしいから。

 最後に、Sさんのご冥福をお祈りします。お疲れさまでした。
# by chefmessage | 2002-09-10 22:43