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ミチノ・ル・トゥールビヨンシェフ道野 正のオフィシャルサイト


by chefmessage
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12周年

 すでに皆さんのおてもとにD.M.が届いていると思うのですが、[まだです、という方、御連絡ください。お送りします。]7月20日に、12周年のフェアを行います。ドリンクは、うちのソムリエがだいぶ前に決めていたのですが、肝心の料理がなかなか決まらなくて、でも、やっと決まりました。
 まず、アワビと桃の冷たいコンソメ、これは夏の定番ですね。その次が、トマトのケ-スに詰めたグルヌイユのブランマンジェ!フロッグレッグとア-モンドのクリ-ム煮をトマトに詰めて、バジルのソ-スで食べてもらおうという、まあ、キワモノと言うか、ミチノらしいと言うか。で、魚料理は新作で、香草をまぶして焼いた魚に、冬瓜と白ネギとライムを添えてみようかな、と。メインは、仔羊の腿肉のロ-スト。アンチョヴィ風味で、ソ-スは、ナンプラ-とミント。説明を聞いただけではわからん、とお思いのアナタ、大丈夫です。本人も良くわかっていません。でも、きっと、アナタを唸らせてあげます。そして、デザ-トは、サツマイモの冷たいニョッキ。黒砂糖のアングレ-ズソ-スとキャラメルのアイスクリ-ムを添えます。そうそう、その前にチ-ズもついてんねや。それで、シャンパンからワインまでぜんぶ込みでだから、実は結構ビビっているのですが、ええい、いってまえの大盤振る舞い。新旧とりまぜてのスペシャリテのオンパレ-ドです。
 昼夜、2回しますが、残席わずか。ご予約はお早めに。
 
という訳で、結構、力入ってますが、やはり、12年も一つのお店やってると、まあいいか、というノリになるわけで、実は自分で、それがイヤになりつつあったのです。このごろ、若い人達のお店に積極的に行くようにしているのですが、みんなすごくがんばってる。そして、イタリア料理に席巻されて、息絶え絶えになっていたフランス料理に、もう一度、命を吹き込もうとしている。そんな時に大御所やっている場合ではないなと。とくに印象的だったのは、ある若手のシェフが、裾野が広がればピラミッドは高くなれる、と言ってたことで、それなら僕ももっとやらないといけないな、なんて。全力で僕もレベルアップにつとめます。その意思表明が今回のフェアであればいい、だから必然的に気合いも入ってしまう、という訳です。
 皆さん、来てください。新しい時代がはじまります。
# by chefmessage | 2002-06-10 22:42
 4月1日に、料理教室の第一回目を行いました。参加者18名で、けっこう盛況だったと思います。いままでいろんな場所に呼ばれて講習はしてきましたが、自分のお店でやることはほとんどなかったので緊張しました。多分、そうは見えなかっただろうけど。ただ、初顔合わせだったので、ぼくもそうだけど、こられた方同士も若干ぎこちなくて、でもこれは回を重ねるにつれて、どんどんなごやかな雰囲気になっていくだろうと思います。
もともと、ぼく自身が堅苦しいの嫌いだから。

 しかし実際のところ、自分のお店で料理教室するなんて思ってもみませんでした。だいたい、人にモノを教えるなんてガラじゃないと思っていたし。大学に行ってたときも、教職過程なんて全然とらなかったし。ただ、およばれで講習にいくことは、お店の宣伝にもなるしギャラもはいるし、まあいいか、というところだったのです。とはいうものの、引き受けたからには精一杯させていただきましたけど。そういう性格なもんで。

 では、何故自分のお店でやろうという気になったか。それは簡単に述べるならば、まあ、恩返しかな。ウチの母の料理があったから、ぼくは料理人になれたとこの頃は思うわけで、ウチの母は平凡な主婦だけど、男ばかりの子供4人(ちなみに、ぼくは次男です。)と父に、くる日もくる日も料理作ってくれたわけで、その労力は想像するのも恐ろしいほどたいへんだったろうけど、それをマズいだの、これはキライだの、いまさらゴメンとつぶやいても仕方ないのだけれど、でも、彼女の味とセンスは、しっかり自分の中にあると思うのです。そして、ぼくは料理人になって、そのことで自分に自信を持つことができました。それは、料理という表現方法を持っていることから来る自信です。気持ちとか思いを、言葉だけではなく、形として表現し相手に伝えられること。そして、料理とは基本的に、エネルギーを相手に与えることなのです。ぼくは、ひとを元気にすることができる。ひょっとしたら、一生忘れないほどの感動を与えることもできるかもしれない。そんな思いが、今のぼくの人生を支えています。そして、そうなれたことを一番に感謝すべきは、やっぱり母かな、と。

 で、話は長くなりましたが、そんな感謝の思いを、今更言葉にして母に伝えても、気持ち悪がられるか、かえって心配されるのがオチなので、彼女がぼくに伝えてくれたように、ぼくも人に伝えてみるか、と。それに、ぼくが12年間お店を続けてこれたのも、多くの皆さんのおかげだし。というわけで、恩返し、という結論になるのですが。
 
まあ、言葉に置き換えるとなんだか重苦しいけれど、実際はもっと気軽なものにしたいので、誘い合ってお越しになってください。次回は5月20日です。
 それにしても、この文章読み返して思ったんだけれど、ぼくも随分丸くなったなあ。フランス料理界の奇才のはずなんだけどなあ。
# by chefmessage | 2002-05-10 22:42

コックさん

 今、本屋さんに出ている「あまから手帖」の別冊に、上野修三さんの小僧さん時代のお話しが記事で出ていて、それを読みながら、そういえば自分の修行時代はどうだったかを思い出していたのですが、どうもあまり楽しいことがなかったみたいで、困ってしまいました。
 そもそも、なぜコックさんになろうと思いたったのか、今だからああだこうだ説明しているけれど、その当時どうだったかなんてのはもはや闇の中で、でも、もう24年たったんだなあ、と感慨にふけるばかりです。仕事は本当に辛くて、それこそ毎日やめたかったけれど、言い出したかぎりは3年は続けないとシャレにならないと、それだけを思って続けていました。そして、ちょうど3年目くらいに、ある事が起こりました。

 ぼくの兄から1本の電話が入ったのです。それによると、じつはお見合いをして、自分はその相手を気に入ったんだけれど相手はいまいちみたいで、断られそうになったんだけれど、もう一度だけ会ってくださいとたのんだらO・Kが出た。ついては、おまえのところへ食事に行くので、よろしくお願いしたい。そういう内容でした。
 そこで、先輩やシェフにその旨伝えたところ、まかしておけ、と。そしてその当日、兄のテ-ブルには先輩たちのおごりのワインが届けられ、オ-ダ-はシェフ自らがとりにいくという大サ-ビス。料理も随分気合いが入っていました。上機嫌のお二人さん、さて、その結果はどうなったでしょうか。

 これが、結婚することになったんだなあ。その知らせを聞いたとき、ぼくは初めて思ったのです、ひょっとしてこの仕事、結構いけてるんじゃないか、と。だって、一生ものですぜ、そんな思い出。素敵な仕事と思いませんか。
 ぼくは、その時のことを今でもおぼえているし、それが出発点で、同時に最終目的だと考えてこの仕事続けてきました。そして、明日は今日よりもっといい仕事できるようになろうと。そうすれば、もっと素晴らしい思い出を提供できると。
 ひとくちに水商売というけれど、考え方の問題ですね。そして、そんな考え方を文化というのではないでしょうか、なんて偉そうにいってますが、これも修行の結果なら、あのつらさも無駄ではなかったような気がします。日本全国の小僧たち、そういうわけで、がんばれよ。
# by chefmessage | 2002-03-10 22:41