ワタリさんのガラス、フナイさんの箸
自分のレストランを開業して31年になりますが、お箸を置いたことがありません。むしろ、頑なに拒否してきました。自分の料理に箸は馴染まないと思っていたからです。だから、お客様からの要望があったときだけお出しするようにしてきました。それなのに、今になってなぜ箸を作る気になったのか?
それは、ぼくのお気に入りのワタリさんのお皿がきっかけでした。
福井市の「ワタリグラススタジオ」さんは、越前海岸を真下に見下ろす高台にあります。初めて訪れたとき、まずその環境に感動しました。後ろは山、そして目の前は海。工房の前に置かれたベンチに座って夕陽を眺めるのは最高だろうなと思いました。四季折々、どんな表情になるのだろう、それを見てみたい。
それから工房に入ったのですが、一番前の棚に置かれている一枚の皿に目が止まりました。それは桜色の、縁に向かって上方へ緩やかにカーブしている愛らしいガラス器でした。どんな料理を盛ればいいかな、ぼくは想像して楽しくなった。その桜色のものと、同じ型の藍色のものをしばらくしてから購入しました。それ以来、その2種類のお皿はぼくのとっておきになったのです。
でも使ってみて、難点があることが判明しました。やはり形が和食向きなのでしょう。フォークナイフを使って食べると、お皿が不安定なのです。糸底があるのですが、中心からずれたところに上から力を加えると、最悪の場合、お皿がひっくり返ってしまいます。
工房の長谷川さんご夫妻とあれやこれや検討したのですが、根本的に形状を変えないと難しい。それを避けて現状の美しいフォルムのままで使いたい、となると、解決策は一つしかありません。それは「箸を使って食べる」ことです。
実はそれ以前から、箸の必要性は感じていました。昔と違って今は小さな料理が多いから、どうしても突き刺すよりつまむ方が食べやすいのです。「日本人にはやっぱりお箸が便利でしょう」という主張はぼくにはあまり好ましく感じられません。ただ単に、ぼくはより良い方向に進もうとしているだけだから。
よし、箸を作ろうと思い立ったのです。でも、どんなのが良いのかよくわからない。そのとき、一人の人を思い出しました。そういえば彼女の実家は箸屋さんだったはずだ。「フードライターのヘベレケ日記」をWebで書いている船井香緒里さん。早速連絡を取ったところ、箸のサンプルを持って来てくれました。話を聞いて、サンプルを見せてもらって、おのれの不明を恥じました。そして、福井の小浜市にある工場「フナイワークス」さんを見学させていただくことになりました。その時にワタリさんにも立ち寄って、箸置きを別注するかと考えて、ぼくは一気に盛り上がったのですが、コロナ禍で全てが止まってしまった。
それからは「蘇ボックス」の日々が始まりました。
どこにも行かず、ひたすら作り続けた。今もその状況は変わっていません。
「そろそろどこかに行こうや」、そう言い出したのはぼくだったか彼だったか。彼とは神戸の「ルセット」オーナーシェフの依田英敏くんです。6年前のぼくの還暦パーティは、今思い出しても素晴らしい会でしたが、それは、彼の尽力無くしてはあり得ませんでした。それ以来、彼とは親友となりました。二人でいろんなところに出かけましたが、いつも彼が車を運転してくれるのでとても楽をさせてもらっています。二人とも同じ立場にいるので、仕事の上でも情報を共有できてありがたい。
福井に行って、箸工場見学はどうやと持ちかけると、それはいいですねということになったので、連休を利用して出かけることになりました。どうせなら福井に詳しい人に案内をお願いしようと、神戸の森山硝子店に勤めていた廣瀬さんに連絡を取りました。彼は現在、家業である鯖江の漆器屋さんを継いでいます。最初は躊躇していた様子でしたが、ルセットの依田くんも同行すると言ったところ、わかりましたという返事。依田くんは森山硝子店の上得意であったようで、こんなところは、お互いの人間関係が交錯していて便利でよろしい。
当日、小浜市役所の駐車場で廣瀬さんと待ち合わせ、昼食ののち「フナイワークス」さんへ。
分業が盛んなお箸の業界にあって、原木の切り出しから塗りの仕上げまで行う工場はここくらいかもしれません。でもそれは、伝統産業を後世に残すための英断であったようです。
いろんな業界で価格競争は熾烈になっていますが、お箸の業界も同じ。そして、しわ寄せは根元に近づくほど顕著になるようです。福井でも、原木から箸の原型を切り出す職人さんが激減している。人口減少というより、後継者不足です。代々続いた仕事だけれども、子供に後を任せるには厳しすぎるということなのでしょう。それなら、従業員として職人さんを雇用し、生活の安定を保証して働いて貰えばいい、そんな使命感が「フナイワークス」さんにはあったようです。
箸の製造工程は細分化されていて、一本の箸にどれだけの手間がかけられているか、実際に見学してよくわかりました。そしてこの工場の特徴は、機械化して問題ないところは機械に任せるけれども、肝心なところは職人さんの手作業で行っていることです。
「神は細部に宿る」そのことを実感してぼくは感動しました。例えば箸の先。あれも職人さんが削って丸くしているのです。塗りの工程も見事だった。そして、黙々と作業する職人さんたちの礼儀正しさ。
何故もっと早く気づかなかったのだろうと思いました。ぼくたちの周りには大切なことがいっぱいあるのに、ぼくたちは見ようとしなかった。もっと気持ちが豊かになったのに。もっと思いやることができたのに。そのことで、もっと自分を大切にできたのに。
ぼくのために箸を作ってくださいとお願いしました。色、サイズ、形。お父さんが急逝され、若くして代表取締役となったばかりの船井重伸さんが快く応じてくれました。「とりあえずサンプルを作ります。一ヶ月ください」。そんなにかかるものなのか、とは思いましたが、後で廣瀬さんに聞くと、漆塗りの場合はまだ急いでくれた方なんだそうです。
ぼくはたくさん注文することができません。最少ロットにも遠く及ばないでしょう。それでもフナイさんはぼくの無理を聞いてくれました。
多分、ぼくのレストランで使う最初で最後の箸になるでしょう。そしてそれは、ぼくにとっては最高の箸になるはずです。
それからぼくたちは鯖江に向かい、廣瀬さんの会社で漆器をいくつか見せてもらってからホテルへチェックイン。その後、レストラン「レ クゥ」へ。
福井県愛にあふれたお店です。食材から調度品に至るまで。そして何より美味しい料理。このお店では最後に必ず炊き込みご飯(もちろん福井のお米です)が出てくるのですが、その日はコーンがいっぱいのっていました。食べ終えるとサーヴィスの女性が「おかわりできますよ」と言ってくれます。それでは、ということでお願いすると、今度はカレーのルーがかけられていて。
ぼくも依田くんも満腹、なのに廣瀬さんはそれからまだ3回もお代わりをしていました。元 高校球児は好男子ですが、並外れた大食漢です。
翌朝はワタリさんへ。
海岸沿いの道は見所がたくさんあります。車を止めて釣りをしたい場所ばかり。そしてワタリさんのスタジオはやはり素敵でした。奥さんの陽子さんは高槻市出身なので、同じ関西人、話が早い。トントンと話は終わり、で旦那は?と聞くと、古民家のペンキ塗りに行ってます、とのこと。町の有志が集まって、宿泊できるように改造しているのだそうです。面白いから行ってみようぜ。すぐにぼくたちは出発しました。
大きな古い家、キッチンだけが出来上がっています。近所の人もやってきて、二人ともシェフなら、オープニングの料理を作りにきてもらおう、それがいい、という話になったのですが、ぼくは気がすすみません。ここまで来て仕事したくない。でも、依田くんは乗り気です。やっぱり彼は根っからの料理人なのでしょう。いつの間にか二人のコラボで話が出来上がってしまいました。
その後、漆工屋さんや木工屋さんの見学をして、最後の訪問先の「杉原商店」さんへ。越前和紙の問屋さんです。
昔の蔵を改造したショウルームは素晴らしくモダンです。世界中に販路を広げておられるのは伊達ではないなと思わされるセンスの良さ。ぼくはそこに展示されている「うるわし」というランチョンマットをお願いすることにしました。
これは手漉きの和紙に漆を塗ったもので、独特の風合いがあり、同じ柄のものはありません。全部違った表情をしています。ランチョンマットとしては高価なので躊躇していたのですが、傍で見ていた依田くんの一声で決めました。「これしかないですよ」。
28年間、神戸でトップを走り続けてきた男の一押しです。
杉原さんも応えてくれました。在庫で足らなければ一から作りましょう。
このランチョンマットの右端にワタリさんの箸置きがあり、フナイさんの箸がある。そして、左下には廣瀬さんにあつらえてもらう漆塗りのパン皿がある。これがぼくの店の最終のテーブルセッティングです。
夢があって、いつかそれを叶えたいと思う。でも、ぼくにはもう、そのいつかはありません。残された時間は限られているから、今やらないとできない。コロナ禍の後、お客様は戻ってくるのか?あるいは、資金はどう捻出するのか?そんなことより、今やりたいことがある。そしてそれが、ぼくを行けるところまで進めてくれるのだと思う。
コロナ禍で見つけたもの。それは人とのつながりの大切さです。ワタリさんやフナイさん、そして杉原さんにたどり着けたのはたくさんの人たちとの出会いが発展していったからです。そしてそれは、これからもまだ続いていく。これがあれば、この大切なものを守ることができたなら、ぼくは怯むことなどないと思う。ぼくだけではない、そのことに気づいている人たちが今のぼくの願いを受け止めてくれているのだと思います。
依田くんと改装中の古民家にいたとき、こういうところに移住するのも悪くないよな、と話し合いました。
朝は早起きして釣りをする。釣った魚は料理する。それを食べながら、のんびりと本でも読んで暮らせたら。
でも、ぼくたちはわかっているのです。多分ぼくたちは最後まで仕事を続けるだろう。もうダメだと思い知るまでやり続けるだろう。それが人として幸せかどうかはわからないけれども、ぼくたちはそういう人間だ。
それでいいと思う。そして、そうありたいと願っている。そのために必要なものは何か?
心を込めて作られたものに対して敬意を払うことではないだろうか。それに見合う自分でありたいと願う気持ちが、ぼくたちをいつまでも成長させてくれるような気がします。
武生の高速道路入り口で廣瀬さんと別れ、帰路につきました。車中で、充実した旅だったなと語り合いました。
来年、依田くんの一年遅れの還暦パーティがあります。その実行委員長を仰せつかりました。いいパーティにしたいね、そんなことを話しているうちに、車はぼくの店に到着。小旅行は終わりました。
でも、ぼくにはもう一つ仕事が残っているのです。店のテーブルの天板を探すために北海道まで出かけなければなりません。
やっぱり、のんびりなんてできないな。
でも北海道に行ったら、イトウ釣りには行こうと思います。1年にたった1日だけ、すべてから解放されるために。
残された時間は少ないというのに、旅はまだ始まったばかりのような気がします。